2018年9月6日、停電する札幌市内(写真アフロ)

ブラックアウトの危機を乗り越えた企業

2018年の北海道胆振東部地震から3年が経つ。道内ほぼ全域の295万戸が最長2日間にわたって停電する大規模な全域停電(ブラックアウト)が起きた。その際、見事な対応で注目を集めた企業が北海道内に1100店舗のコンビニエンスストア「セイコーマート」を展開するセコマだった。

地震発生後、セコマは、災害対応マニュアルに基づき、本部社員や店舗スタッフが車から非常電源を確保し、停電中も店舗を営業し続けた。店舗厨房のガス釜を使った「塩おにぎり」の炊き出し販売を行い、「停電中に温かい食事ができた」など感謝され、SNSなどで「神対応」と評価された。

非常電源は、オーナーなどの車から給電して店内レジを稼働させ、停電後も道内95%の店舗が営業し続けた。非常電源セットは、車載シガーソケットの電源(DC12V)を家庭用コンセント(AC100V)に変換するコンバーター、延長コード、手元を照らすLEDライトの3点で構成されている。2011年の東日本大震災をきっかけに全1100店舗に備蓄していたという。

内閣官房国土強靱化推進室が同年12月4日、札幌市で開いたシンポジウム「企業における事業継続~巨大災害時代における企業の備えと防災人材の育成~」で丸谷智保社長は「災害時に必要な消費電力を絞り込んでいたことで、少ない電源でも継続できた」と振り返った。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/13500

一方で物流倉庫は壊滅的被害を受けた。各地の倉庫では在庫品が散乱し、大量の商品廃棄が出た。1日かけて出荷可能な状態に整理した。災害時に需要が急増する水とカップラーメンは、丸谷社長自ら飲料水や即席麺のメーカー担当者に携帯電話やSNSで直接連絡をとって調達を依頼。同社茨城県の物流センターまで配送してもらい、フェリーに積み替えて40フィートコンテナ19基分を道内に輸送した。2016年に完成した釧路配送センターでは、施設とトラック40台が3週間可動できる大量の軽油・重油を備蓄していたため、これを札幌配送センターに分配し、トラック輸送用の燃料を賄った。これにより災害協定を締結した8自治体や自衛隊、北海道警察、北海道電力への物資供給を含め、通常の1.6倍の物量を供給し続け、32日半かけて通常業務に復旧できた。

丸谷智保社長は、同社の緊急対応計画が奏功したことについて「わかりやすい装備とマニュアルづくりもあるが、それ以上に店舗スタッフが業務を通じて地域コミュニティに対して愛着と使命感を育んで自主的に動いてくれていたことが大きかった」とスタッフの対応を讃えた。

印刷を続けた地元紙

道内に約100万部の日刊紙を発行する北海道新聞社は、全停電の中、震災後も紙面発行を継続し続けた。約2日間続いた大規模停電の対応に追われるなか、東日本大震災をきっかけに本社・支社では自家発電機を備えていたことが奏功し、中核となる紙面制作システムやサーバーは正常稼働できた。

一方、印刷工場が道内6拠点のうち5拠点が停止。そのなかで唯一2013年に自家発電装置を導入していた本社工場が「命綱」となり、同工場で6日午後から7日未明にかけて、自社媒体と災害協定などを結んだ他社媒体あわせて12紙・約200万部を印刷した。印刷工程でも、紙面数を大幅削減する、記事の締切時刻を最大で6時間早める、物流の中継拠点をつくりトラック輸送を効率化するなど工夫をすることで、発災による休刊を食い止めることができた。

このほか、道内38カ所の全支局にエンジン式の自家発電機を配置していたが、北海道新聞社編集局次長兼報道センター長の三浦辰治氏は「年1回の試運転が不十分だったため、ほとんど起動しなかった」と、内閣官房国土強靱化推進室のセミナーで振り返っている。かろうじて始動した数台も「屋外は騒音で近所迷惑、室内は有害排気ガスが出る」と結局稼働できず、「ほとんど役に立たなかった」という。