実は、東日本大震災で製油所が止まった理由は津波や火災による直接的な影響だけではない。製油所は、地震加速度200ガルという強い揺れを観測すると製油装置が自動的に停止する仕組みになっている。これは震度5強程度に相当する。

製造が止まっていても、製品タンクや出荷設備に問題がなければ、貯蔵してある製品は出荷することができるが、製造を再開するには、装置に問題がないかを点検しなければならず、一般的に、再稼働するまでには1週間から10日かかると見られている。つまり、その間は製品の生産機能はストップすることになる。東日本大震災では、全国に27ある製油所のうち6つの製油所が停止し、67%まで精製の稼働力が落ちたといわれている。

ただし、燃料の流通に詳しい東洋大学経営学部の小嶌正稔教授によると、東日本大震災後は、西日本や北海道の製油所の稼働率を通常より高めたことで、東日本大震災で被災した製油所の生産量を早い段階からカバーすることができた。

さらに、東北・関東の製油所も、津波や火災で大規模な被害を受けた施設を除けば、川崎市にある東亜石油の京浜製油所から順に回復し、3月18日までには79%、21日までは89%、そして4月13日の時点では91%まで回復している。それでも、ガソリンなどの燃料不足は長期化した。 

小嶌氏はガソリン不足が長期化した理由の1つが、製油所の油槽機能、つまり製品や半製品を一時的に貯蔵しておく機能と出荷する機能が停止したことだという。実際、仙台の製油所の稼働が止まった後、その生産量は全国の製油所で十分にカバーできたという。しかし、仙台の製油所には、製品と半製品のタンクが合わせて87基あり、190万㎘の在庫を持っていた。

そしてローリーの積み場が52基あり、酒田市や盛岡市に鉄道で運ぶタンク(貨車)の積み場も17基あった。これらの設備が被災した上に、製油所にあった多くのタンクローリーが津波に飲まれてしまったことで、油槽機能が完全に機能しなくなったと小嶌氏は指摘する。 

ちなみに、震災当時、東北全体では、油槽所の数が22あった。油槽所は、製油所で生産された石油製品をガソリンスタンドなどへ配送する中間で一時的に貯蔵しておく貯蔵専用の施設である。その油槽所にある燃料油を全部合わせても151.8万㎘しかなかった。この油槽所も八戸、釜石、気仙沼、塩釜、石巻が被災したが、注目すべき点は、仙台の製油所の方が、油槽所よりも多くの製品を蓄えていたということだ。 

小嶌氏は、製油所は2つの役割を果たしていると説く。1つは製品を生産する工場としての役割、もう1つは製品をためておく時の油槽所としての役割で、この2つの視点から製油所の被災の影響を見ることが大切だという。

追い打ちをかけたガソリンスタンドの閉鎖
東日本大震災では、製油所の被災に加えて、多くのガソリンスタンドが閉鎖し、そのことがガソリン不足に拍車をかけた。小嶌氏によると、津波などの被災により営業が継続できなくなった割合は宮城県では30%に達する。