私たちが運営する(一社)福祉防災コミュニティ協会は主に研修事業、福祉施設等の被災者支援事業を展開。そして年に1回、福祉と防災に関するシンポジウムを実施している。昨年はコロナ禍で中止したが、今年は「福祉防災元年~避難確保、BCP、個別避難計画、福祉避難所~」と題して6月26日にオンラインで実施、100名以上の方が参加された。
毎回、基調講演で話されるのは浅野史郎先生(本協会会長、株式会社土屋特別研究員、元宮城県知事)。今回は「障がい者観」について話された。防災との関係では、なぜ災害弱者という言葉が課題になるのかについても言及されている。今回は浅野先生の講演概要を紹介する。
なお、私のメモを元に起こしている、必ずしも発言は正確でない場合がある。もちろん文章の責任は私にあることを付け加える。
【浅野史郎先生講演要旨】
障がい当事者が勝ち取ってきた権利
今日は、障がい者に対する一般人の「障がい者観」について話します。
障がい者に対する最初の法律は、1900年の精神病者監護法です。社会防衛のために精神病者を家に閉じ込めて、社会から排除するものです。当時、重度の精神病者は社会にはいらない人だと考えられていました。
次に、1949年に身体障害者福祉法が成立しますが、これは戦後に傷痍軍人などが多くいたからです。また知的障がいのある戦災孤児は福祉施設が引き取りました。この政策背景には、慈悲、保護、気持ち悪い、憐憫といった社会からの目線がありました。これも一種の社会防衛策です。
それから、知的障がい者は精神薄弱者と呼ばれ、精神薄弱者福祉法が1960年に施行されるのですが、なんと1998年に知的障害者福祉法に変わるまで「精神薄弱者」という名称が使われていました。
その後、施設福祉から地域福祉へ障がい者政策が変化します。1987年に私が厚生労働省の障害福祉課長になって、グループホームを制度化しました。施設から出て、地域で生活できることを目標にしています。これによって、障がい者観は変わると思いましたが、影響を及ぼす力にはまだなりませんでした。
これは、まだ障がい者支援が措置だったからです。措置は、行政が障がいを持っている人の障がいの程度・家庭環境をみて、どのサービスを提供するかを決めるものです。
2006年に障害者自立支援法ができて、基本理念が措置から契約へと変わりました。契約とはサービスを受ける障がい当事者とサービス支援事業者が直接契約を結ぶもので、行政が決めるものではないという考え方です。行政が「かわいそうだからやってあげる」というニュアンスの措置ではなく、障がい当事者が生活するために必要なニーズを契約によって確保するものです。
契約の制度は障がい当事者が行政に働きかけ、勝ち取ったものです。行政と当事者がコラボレーションをして制度化したものです。当事者主権とは、自分の権利を誰からも侵されない、自分だけの権利だというものです。障がい者が、主権を持っていることで、やっと一般人からの見方も変化したのではないかと思います。
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