東日本大震災において災害協定はどのように履行されたのか。支援物資の輸送を担ったトラック業界と、被災後の道路復旧やがれき撤去などにあたった建設業会の対応を追った。

前例のない広域大災害だった3.11
緊急支援物資輸送に業界が総力を結集

ひとたび大災害が起きて、被災者が避難生活を余儀なくされた場合、避難所生活に欠かせないのが、食料や水、毛布、仮設トイレといった生活物資。これらの緊急支援物資を避難所に届ける役割を中心的に担っているのがトラック業界だ。先の東日本大震災における緊急支援物資輸送でも、食料の約7割、飲料水の約6割をトラック輸送が占めたという。

阪神・淡路大震災や新潟県中越地震といった過去の主要な災害では、被災県が各地域のトラック協会との協定に基づき支援物資を配送。加えて災害対策基本法における指定機関の日本通運がサポートする形でまかなってきた。

ところが1000年に1度とされる東日本大震災は、広域かつ避難者数が47万人に及ぶなど被災規模も大きかったことから、既成の災害協定の枠組みを超えて全日本トラック協会(全ト協)と大手運送会社、政府が全面に乗り出す形となった。

公益社団法人全日本トラック協会の細野高弘専務理事に、東日本大震災時における緊急支援物資輸送の取り組みについて聞いた。

災害協定の想定を覆す大規模災害 
東日本大震災の発生以前、戦後最大の被害を出した阪神・淡路大震災であっても、東日本大震災と同規模の避難所生活を強いられたのは、兵庫県と大阪府のわずか2府県のみで、緊急支援物資輸送に関する災害協定は、比較的狭いエリア(ほぼ1県単位)を前提としていた。このことから、災害協定に基づく緊急支援物資輸送の基本的な枠組みは、被災都道府県が主導する形で、各地域のトラック協会もしくは当該地域の指定運送会社と連携して地方調達の物資輸送を担うほか、政府調達物資などの広域輸送を業界最大手の日本通運が担う形で対応してきた。このほか、被災県の隣県と当該地域のトラック協会も応援するのが常だという。 

しかしながら、東日本大震災は、被災の対象範囲が南北500km、東西200kmと広域だったことと、主たる被災県が宮城、岩手、福島の3県にわたり、ピーク時の避難所数が約2400カ所、避難者数が約47万人(阪神・淡路大震災は約32万人)、避難者の食事が1日最大113万食に及ぶという大規模なもの。このため、既成の災害協定の枠組みを超える形で支援物資輸送が行われることとなった。