福島原発事故の前と後
福島原発事故前の東京電力の組織体制は、本部長(原子力防災管理者:発電所長)のもと、情報、資材、広報、復旧、通報など12の組織が直接、横並びに連なる形となっていた。原子力運営管理部防災安全グループマネージャーの田南達也氏は、「本部長にすべての情報が同じタイミングで優先度も整理されないまま直接上げられてきたために、判断できない状況に陥っていた」と災害当時の状況を説明する。 

そこで、東京電力では緊急時の組織体制を、原則として5人以下と規定。広報、通報、立地地域担当の各班を一括りで「対外対応統括」とするなど、関連する班を機能ごと1つの統括とすることで、統括ごとに情報を集約し本部長(本店なら社長、現場なら発電所長)にあげる体制に改めた。「一般市民への広報、国など官庁に連絡する通報、地元への連絡など、情報を伝える相手が違っても、基本的な目的や活動は同じなので機能として一つにまとめた」(田南氏)。各統合は、情報の重要性、緊急性などから情報の優先順位を付けトップの指揮官に報告する。 

従前のように12組織がフラットに本部長の指揮下に連なっていれば、原子炉の圧力が危険な状況まで高まっているような状況の中、極端な例だが、「社員の食料が足りない」「社員がケガをした」「そのことを国に通報しなくてはいけない」など、余計な情報まで一斉にトップに上げられてしまう。必要な情報を、必要な時、必要な人に届けるというのが、組織再編の基本コンセプトにある。 

発電所の災害対策本部の各班、各統合は、それぞれ本店緊急時対策本部の各班、各統合と連携し合えるよう、基本構造をほぼ同一にした。そのねらいは、カウンターパートを明確にしてコミュニケーションと情報共有を確実にすることにある。これより、発電所は事故を拡大させないことに専念できるようにする。メディアへの対応、関係省庁との連絡、他の機関からの応援の受け入れなどはすべて本店が支援する。福島原発事故では、消防車が到着しない、マスコミから問い合わせがあるなど、あらゆる情報が当時の吉田昌郎所長以下、現場に寄せられ困難を招いた。 

緊急対策要員の数も見直している。柏崎刈羽原子力発電所を例にすると、当時は発電所の所員が1100人ほどいる中で緊急対策要員は300人ほどしかいなかったが、これを倍増させ680人にすることで、柔軟性と継続性を確保できるようにした。

「福島原子力事故までは、危機対応にあたるのはせいぜい数日との考えがあったが、長期間でも対応できるよう交代しながら対応にあたれるようにした」(田南氏)。