八ッ場ダム建設、大詰めを迎える

国土交通省関東地方整備局が群馬県の温泉地・長野原町で進めている八ッ場ダム建設は、本年3月ダム堤体の定礎式を行い、大詰めを迎える工事を前に安全を祈願した(この日、反対派の抗議行動はなかった)。ダム建設計画のきっかけとなったカスリーン台風の大水害から本年で70年である。国交省は昨年までに水没予定地区にある全世帯と移転契約を結んだ。工事は山場に入った。私は、これを機会にダム建設現場に足を運んでみた。

八ッ場ダムの建設地は、利根川水系吾妻川の中流部に位置している。同ダムは、重力式コンクリートダムで、堤体の高さ116m、堤頂長291m、堤体積約100万m3の大ダムである。総貯水量は1億750m3で、流域面積は711km2に及ぶ。

ダム本体工事では、堤体コンクリートの打設などを展開中である。移転地権者の生活再建事業やインフラ整備事業が急ピッチで進められている。本年から来年にかけて工事は最盛期に入る。治水や利水などの面から早期完成が求められている中、事業は順調に進行中である。

洪水調節や流水の正常な機能の維持、都市用水の供給、水力発電がプロジェクトの主な目的だ。吾妻川流域にはダムがない。そのため利水用の降雨を十分に活用できていない。昨年は、利根川上流域での少雪・少雨などの影響で渇水が発生した。八ッ場ダムが完成していれば取水制限は回避できたとみられており、完成後は、首都圏の生活や経済活動にも寄与することになる。

コンクリート用の骨材(原材料)は、近接する原石山が供給源だ。ベルトコンベヤーを用いて1時間当たり約800tも運ぶ。コンベヤーのルートには、移設された旧JR吾妻線の線路跡を有効活用している。その長さに驚いた。

本年5月現在、毎日約300人の作業員が24時間体制で工事に当たっている。堤体は基礎部から約10%の高さまで建設が進んでいた。計画では来年5月には巨大なダムが姿を現す。その後、水門設備の据え付け、試験湛水などを経て、2019年度中には完成する予定である。半世紀を超える苦難のダム建設事業がゴールインする。無事故のまま大事業が完了することを願わずにはいられない。

台湾にある八田与一像(出典:Wikipedia)

台湾で日本人ダム建設者の像、頭部切断

大きなショックを受けた。本年4月17日付の「朝日新聞」記事に目を通した時である。「台湾の日本人像 壊される、植民地時代にダム建設指導」(見出し)。私はこの「日本人」が八田与一(はった・よいち)だと直感した。

記事から引用する。「台湾南部・台南市の烏山頭(うさんとう)ダムで4月16日、近くに設置されている日本人土木技師・八田与一(1886~1942)の銅像の頭の部分が壊されているのが見つかり、地元警察が捜査している。同ダムは日本人観光客も訪れる観光地」(切断された頭部は持ち去られたらしい)。

「銅像は高さ1mほどの座像で、八田がダムを眺める向きで置かれていた。地元報道によると、ダム関係者が16日朝、像の頭部が切り取られているのを見つけ、警察に通報したという」(無残な姿の写真が肺腑をえぐる)。

「八田は日本植民地時代の台湾で、烏山頭ダムの建設を指揮し、台湾南部を穀倉地帯にした。台湾では歴史教科書にも登場する著名人だ。2011年、ダム湖畔に記念公園が整備された。八田の命日の5月8日には、日台の関係者が毎年記念行事を開いており、今年も予定している。地元の台南市政府は『命日までには修復したい』としている」

続いて朝日新聞の続報(5月9日付)である。
「台湾の日本人像 修復」(見出し)。
記事を引用する。「台湾南部、台南市の烏山頭ダムに設置されている、日本の植民地時代の土木技師・八田与一の銅像の頭部が切断された事件で、銅像の修復が完了し、7日、現地で除幕式が行われた。地元の博物館に、以前制作された八田像の複製があり、その頭部を利用し、残された胴体に取り付けた。再発を防ぐため、監視カメラと照明が新設され、巡回を強化したという」(安堵とともに怒りがこみ上げる)。

私は10年ほど前に八田の銅像を現地で拝見した。右手を額に当てた等身大の座像(八田版の「考える人」)は、八田の現場を愛する飾らない真摯な姿勢を見事に表しているものと思われ、深い感慨にふけった。地元有力者の話では、同像は地元農民らの発意により八田生前の1931年に建てられた。敗戦で日本が引き上げた後、台湾にあった日本人の像はほとんどが撤去された。が、八田の銅像は地元農民らの強い要請で無事残された。香がたかれ季節の花が添えられることはあっても、傷つけられたことなどなかったのである。日本の土木ファンならば、八田を主人公にしたアニメ映画「八田来(ばってんらい)」をご存じであろう。
(参考文献:国土交通省資料、ダム工学会資料、朝日新聞・建設通信新聞関連記事)

(つづく)