常総市へ支援物資を届ける筑波大学職員(出典:筑波大学ホームぺージ)

白川研究室(河川工学)のいち早い対応

筑波大学システム情報工学研究科博士課程、白川直樹准教授研究室(『川と人』ゼミ)坂本貴啓(たかあき)氏は言う。

「私自身の身近で大水害が起きた。水没した街の上に無数のヘリコプターが轟音をあげて飛ぶ異様な光景が広がっていてリアルタイムで進行する被災地を生々しく見た。氾濫直後の被災地で何ができるか色々模索したが、民家の泥かきをしている自分がいた。結局のところ、自然災害の前で人の力は無力である。ただ私は河川の研究室に所属している。現在の現地の被害の状況や証言を丁寧に記録、整理、分析し、今後の防災計画に一つでも多く有益な情報を提供することが求められている。被災地から最も近い大学の唯一の河川工学の研究室としての役割を認識しつつ、引き続き活動を続けていきたい」。

「常総水害対策チームを白川直樹先生が直ちに設置して以降、私がチームのリーダーを務めた。後輩らは通常時の研究室の用務もこなしつつ、夏季休業中の自由な時間の大半を惜しみなく費やしてくれた。ひたすら使命感を持って水害対策活動に取り組んでくれたチームの後輩達に感謝したい」(JRRNニュースレター(2015 年10月号)の「特集」記事より)。

浸水深の計測(白川研究室提供)

筑波大学システム情報系白川直樹准教授は、被災地から最も近い国立大学の唯一の河川工学の研究室として堤防決壊直後に「常総水害対策チーム」を設置した。堤防決壊の翌11日午前10時過ぎ、白川准教授はゼミ内メーリングリストで「対策チーム」設置をメールで学生たちに伝えた。学生たちは直ちに研究室に集合し、とりあえず8人で「対策チーム」を発足させた。

白川准教授の指示で、被災地に出向き氾濫浸水と被害の状況を把握・調査すると同時に1.メディア情報の整理2.復旧ボランティアへの参加、3.現地調査とその分析を目標に掲げた。

「対策チーム」は、被災地住民に配慮するため以下の点を留意した。1.作業着の着用(野次馬ではない、誠実さを示す)2.筑波大学の腕章を着用(救援と共に学術調査目的であることを示す)3.汚れてもよい動きやすい靴、4.聞き取りをする際は言葉の節々に気を配り、素早く要点を聞く(「水がどの高さまで来て」「いつ水が引いたか」)。

復旧支援活動(白川研究室提供)

短期的な調査目標は1.9月中毎日現地調査を行い災害情報の収集にあたること2.中期的な目標としては可能な限り長く現地に赴き、復旧支援や調査を継続的に続け、今後の防災計画に役立てていくことーとした。

調査初日は10日午後2時に車とバイクに分乗して鬼怒川沿いの被災地に入った。この日から27日までの18日間(大学は夏季休暇期間中)連日現地に入った。「対策チーム」は調査を主目的としたが、人数が確保できる日には泥にまみれるボランティア活動を優先した。毎日行き先を変え(自転車をこいで被災地に入ったメンバーも少なくない)、被害状況の調査、痕跡浸水深の計測、標高測量、聞き取り調査などを行った。

<参考>9 ⽉10 ⽇から27⽇までの主な活動内容(白川研作成)

18日間で現地入りしたメンバーは延べ85人に上る。調査結果は「報告書」としてまとめられた。同書は活動の詳細な記述のほかに、現場写真を多数掲載し、また当該地の地図も添付しており、洪水被災の生々しさを伝えている。大学院生の指導もありレベルは相当に高い。(ユーモラスなエピソードをひとつ。茨城弁は「い」と「え」の区別がつきにくい。被災地に入った学生は「江連用水」を「井連用水」と聞き違えたという)。

18日間、残暑の日が続いた。男女学生に皮膚感覚で災害現場を学ぶ貴重な機会を与えた。よき教育環境や指導者を持った学生たちは幸せである(本稿は月刊誌「河川」2016年7月号の拙文を一部リライトしたことをお断りしておく)。

(つづく)