(イメージ:写真AC)

1998年3月1日(日)の朝、東京は突然の大雪に見舞われた。と言っても、都心の降雪量は5センチメートルに過ぎないのだが、事前に予測されなかったこともあって、交通は大混乱に陥った。羽田空港では航空機の離着陸ができず、約270便が欠航した。首都圏の鉄道各線の運行にも大きな影響があった。
この降雪は予測の難しいものであった。早春の日曜日の朝に起こったこの事例を振り返り、雪に弱い東京の降雪予想について考察してみる。

「負け戦」

この時、筆者は気象庁本庁で、関東甲信ならびに東京地方の予報・警報を担当しており、前日の夕方から夜勤の当番中であった。未明からの資料分析をほぼ終え、まもなく発表する天気予報の最終確認をしていた午前4時20分、横浜地方気象台から緊急電話が入った。雪が降り始めたとのことであった。一瞬、耳を疑った。関東地方は前夜から雨が降っていたが、それが雪になることは想定していなかった。いったい何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。

今何が起きているのかが分からないとき、予報官は途方に暮れる。現在位置を知らずして、どこへ行こうかと考えるようなものだからだ。しかし、決められた時刻には何らかの予報を発表しなければならない。「分かりません」では済まされないのだ。

横浜から電話を受けた時点で、気象庁本庁のある東京都心(大手町)の気温はプラス6度、まだ雨であった。天気予報の発表時刻(午前5時)が迫っており、考えている余裕はない。とりあえず、未明からの資料分析によって導かれた天気予報をそのまま発表した。

やがて、東京都心でも雪になった。こんなはずではない、と思っても、現実に雪は降っている。じきに雨に変わるだろうと思いたいが、その確証もない。そのうちに、濡れていた地面は白く変わり、雪が積もり始めた。雷鳴も確認された。やむなく、大雪注意報の発表に踏み切った。完全な「負け戦(いくさ)」である。「負け戦」とは、かつて筆者の上司であった故・倉嶋厚氏(元鹿児島地方気象台長、気象キャスター)が使っていた表現で、事前に予測できず後追いで警報や注意報を発表することである。それは、予報官にとって「敗北」を意味していた。

警報や注意報は、事前に発表されてこそ意味がある。後追いでの発表は、要するに出し遅れということで、何の役にも立たない。しかし、現実には予測の難しい気象現象があり、警報・注意報の発表が現象の発生とほぼ同時になることや、後追いになってしまうことがある。