2016/12/18
リオ五輪から学ぶ 日本の危機管理を高めるヒント
特集 1 特別寄稿
イベント警備の難しさ
ところで、警備の世界では、よく「イベント警備の難しさ」ということが言われます。
例えば、1972年ミュンヘン大会では、テロリストとの銃撃戦になって、15人(人質9、警察官1、パレスチナゲリラ武装勢力5)もの死者が出ました。大会を打ち切るかという意見も出て侃々諤々のなか、34時間後に再開されるということになりました。テロを起こさせてはいけないというのは絶対の命題だと思います。これだけでも極めて大きな課題なのですが、しかし、そこだけ考えていたのではうまくいかないというのも「イベント警備の難しさ」だと思うのです。
大会前のブラジル国内を思い出してください。競技施設が完成しないのではないか、公共交通機関が開通せず交通渋滞から大混乱するのではないか、強盗が多くて、ジカ熱があって、ブラジルになんか行くべきじゃない等々、とんでもない言われようでした。活動家が、リオデジャネイロの国際空港で横断幕を張って「地獄へようこそ」とやったというので、これまた世界中に報道されました。各地で最後の最後までオリンピック反対のデモが収まりませんでしたし、大会期間中も、選手村の運営に関わる諸問題、停電騒ぎ、スパイダーカメラの落下事故等々、運営上のトラブルが続出しました。
それでも結局、大会が近づいて、聖火リレーがやってくれば、ただただ熱狂あるのみでした。大会が始まって、男子サッカーでブラジルが金メダルでも取ろうものなら、運営上のトラブルがどうなんて話はどこかへ行ってしまいました。ネイマールがPKを入れて、金メダルを決めた瞬間、ブラジル中が感動に覆われました。「大会は成功裡に終わった」と、結局そういう評価になりました。
だから少々のミスは許される、ということが言いたいのではありません。このオリンピックならではの「熱気」、アスリートのもたらす「感動」の素晴らしさ、実際にこれを現地で目の当たりにして、組織委員会というのは、結局、これのためにあるのだということを骨身に染みるほど感じたのです。考えてみれば、それがあるから、来場客には「ああ良かった」と言って大満足して帰ってもらえるわけだし、名場面の数々も後々まで残っていくわけです。
レピュテーションリスクの管理
しかし、リオデジャネイロでは、大会中にこんなことがありました。
アメリカの金メダリストで、アメリカでは超有名人でもあるライアン・ロクテ選手など競泳の4選手が「警察官の格好をした男に襲われて金品を強奪された」と訴え出ました。「やっぱりそうか。リオデジャネイロって物騒だなあ。警察しっかりしてよ」と世界中の人が眉をひそめました。もともと、治安の極端な悪さが大会運営の足枷になると指摘されていたところへこの事件です。しかも犯人は警察官かもしれない。このままではリオデジャネイロ・オリンピック自体の大きな汚点になってしまうところでした。
ところが、警察がよくよく捜査してみますと、選手村に帰ってきたときのロクテ選手らの姿が警備カメラにバッチリ映っており、強盗に遭ったはずなのに、様々な所持品を金探ゲートのトレイに置いて通過している。リラックスした姿で仲間と談笑している。実は泥酔状態になっていて、ガソリンスタンドで大暴れして、制服姿の警備員に取り押さえられた腹いせに虚偽の申告をしていたのでした。
殺人は日本の25倍、強盗は660倍、という中で、あっという間にここまで全容解明したブラジル警察がどれだけカチンと来ていたか、想像に難くありません。裁判所の出国停止命令が事件の3日後、被害申告を虚偽だと断定した警察の「反撃」の記者会見は事件から4日後でした。
それらより前の時点で、ロクテ選手はアメリカに帰ってしまっていましたが、選手村に残っていたら、IOCが彼を処分するなどの展開もあり得たと思います。ともあれ、このケースでは警察の執念の捜査が、リオデジャネイロを救いました。
さらにこんなこともありました。8月7日、風速は20メートルに達し、立っていられないほどの突風も吹き、試走に出たボートが転覆しそうになるほどの強風だったので、ボート競技が順延されました。輸送、宿泊、食事、選手村運営といった組織委員会の各部門に加えて、IOC、競技関係者、放送局、チケット販売体制等々、ステークホルダーの数が極めて多いオリンピックでは、予定通りのスケジュールで競技ができない、ということはたいへんなことです。事態の正確な掌握、中止する・しないの検討、さらに、関係者が急遽IOCも交えた協議を行い、観客を意識しつつタイムリーに対外発表もしていく、ということで、まさに危機管理体制発動の趣となりました。あれだけ巨大な組織体を、スピード感をもって動かしていくというのは、簡単なことではなかったと思います。ちなみに同じ日、テニスは開始時刻を90分間遅らせましたが、競技は実施しました。
事ほど左様に、来場客に、そしてテレビを見ている世界中の人たちに満足を与えるためには、大会の評価を失墜させたり、オリンピックの価値を損なったり、ということがないように膨大な努力を払うことになります。これは「レピュテーションリスク」の管理です。セキュリティ部門は、これに大きく関わることにならざるを得ません。決められた警備措置を決められたとおりにやるだけではなくて、大会運営全体の中でいろいろ考えながら動いて、臨機応変な措置をとっていかなければなりません。
もちろん、オリンピックでなくても、どんな警備でも「行事の円滑」というのは、警備目的に掲げます。しかし、よく言われる「イベント警備の難しさ」というのは、オリンピックというイベントの大きさや運営の複雑さが異次元である分、その難しさも異次元のレベルとなり、リスクシナリオも多岐にわたります。過去の大会でも、数え切れないぐらい多くのケースの想定作業を行って、言わば究極の危機管理体制をもって大会に備えていました。東京もそれをやっていかなければなりません。
私は、リオデジャネイロの現場を見て、これを痛感しました。

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