元々はサルの病気
黄熱は、黄熱ウイルスの感染によって引き起こされる疾病です。黄熱ウイルスは、熱帯・亜熱帯の森林で生息するサルと蚊の間で、長い年月に渡り感染サイクルが維持されてきました。その感染サイクルの中に人が入り込んでしまったために、ウイルスを保有する蚊によって媒介される感染病です。
人が黄熱ウイルスに感染し発病して重症化した場合、死亡率は高いのですが(約20%)、回復すると強い免疫能(終生免疫)を獲得します。かつては、熱帯地方を中心に多くの人々が本病に罹患(りかん)して亡くなった、極めて危険度の高い、社会的に恐れられた感染病でした。黄熱病原体解明に取り組んだ野口英世博士も有名です。現在でもアフリカ、中米および南米では地域的な流行が起きており、非発生国からの旅行者が罹患することもあります。感染症新法では四類感染症に分類されています。
黄熱に脅かされた長い歴史
黄熱は、元々アフリカで3000年以上前から発生していた感染病です。17世紀に奴隷貿易によって、アフリカからアメリカへ病原体が持ち込まれました。1648年には中米のユカタン半島とカリブ海の仏領グアドループで最初の発生が記録されており、その後ニューヨーク(1668年)、ボストン(1691年)、チャールストン(1699年)で黄熱が流行しました。19世紀には、西インド諸島、中米と米国を含む広範なアメリカ大陸の熱帯・亜熱帯地域で流行しています。1839~60年には、ニューオリンズで2万6000人以上が罹患しています。
19世紀中頃までは、黄熱の病原体は、人と人の直接接触により感染すると信じられていましたが、1848年にジョシュア・クラーク・ノットが蚊によって病原体は媒介されるという新しい学説を出しています。さらに、1898年の米西戦争で多数の米軍兵士が黄熱に罹患して死亡したため、軍による研究が推進され、1900年に黄熱の病原体をネッタイシマカが媒介することが明らかにされました。そこで実施されたパナマでの蚊の撲滅運動が功を奏し、1906年にパナマ運河を開通させることができました。病原体がウイルスであることは1901年に判明し、ワクチンも開発されました。
なお、18世紀には病原体はヨーロッパに侵入し、スペインからフランス、イギリスまで黄熱の発生が起きていたことも判明しています。
その後も流行は続きました。第二次世界大戦後の大きな流行として、パナマで始まりメキシコで終息した中米での流行(1949〜56年)がありましたが、南米、アフリカなど各地でも流行は記録されており、現在でも決してまれな感染病ではありません。また近年、黄熱の流行が起きた国として、ボリビア、ブラジル、コロンビア、ペルー、セネガル、リベリア、ガーナ、コートジボワールなどが挙げられます。
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