今後50年間に大きなカスケード地震が起きる確率はざっと3分の1である。次なる本当に大きな地震の確率はおよそ10分の1である。これらの数字は危険を十分に反映するものではないが、より端的にいえば、太平洋岸北西部はそれに対していかに準備ができていないかということである。

われわれはこの全てを理解するために一時思案すべきである。このシナリオの息をのむような巨大さが十分な塾考を難しくさせるかもしれない。しかしじっくりと考えなければならない。

そしてしばし熟慮の後、誰かが仕事に取り掛かる必要がある。私に考えがある。太平洋岸北西部カスケード海溝型地震津波対応計画(Pacific Northwest Cascadia Subduction Earthquake Tsunami Response Plan)を策定するのはどうであろうか? これをPNCSETRPと呼びたいのであるが、少なくとも大規模な、前例のない、包括的で、主体的で、統合的で、全国的な計画となるであろう。複雑に聞こえるかもしれないが、やらなければならないのはPNCSETRに責任のある全ての人を、戦場の霧の中にいるのではなく、あらかじめ解決策を考え出しておけるよう想像上のPNCSETのど真ん中に放り込むことである。キャサリン・シュルツの素晴らしい科学的な物語によって、信じられないほど詳細な想像上の災害をもとに仕事をすることができるのだ。

さあこれから始めよう。3月の雨の降る土曜日の午後、2時35分に次なる本当に大きな地震が発生すると想像しよう。

実際にどのようなものなのかを考え抜く。クライシスによる前代未聞のサージ(大波)を定量化する。そんなにも多くの巨大な問題を生じさせるあの巨大な問題を、可能な限りきめ細かく色鮮やかに理解する。あの土曜の午後が長い土曜の夜になるとき、米国と世界が対処しなければならない課題をリストにする。われわれは、パラレルな宇宙に囚われるだろう人たち―高齢者・障がい者・子供・家族たちのことを考えなければならない。

その時点で、それらのことを考え抜こうとするかわりに、今やる必要がある。そうすれば彼らと連絡が取れるようになるとき、彼らに何を伝えればよいかが分かる。14万平方マイルの被災地で、崩壊した建物から救助し、水を汲みだし、電力と携帯電話サービスを復旧し、道路を使用可能にするためにわれわれがどのように働いているか、100万人の避難者に避難所を提供し、250万人の被災者に水と食料を供給するためにわれわれは何をしているか、である。

これらのことができるようになるためには、今始めることが肝要だ。

太平洋岸北西部で、あの土曜の午後に、崩れた建物、ふさがれた道路、動かない列車、囚われた犠牲者、死傷者、路上のがれきとともにできる限り多くの時間をすごすために、われわれはワームホールを通ってパラレルな宇宙へ旅行しなければならない。同時になすべきことの全てを考え出さなければならない。誰が何をして、それを可能にするものの全てをどこで調達するかである。

これをあなたに自分で言うのはいやであるが、われわれは今この仕事をしていない。

太平洋岸北西部と全米の市や州ではなく、災害専門家は小グループでカーペット敷きの会議室に座って、合理的な思考プロセスを使って、自分たちの責任だと思う仕事に関する計画を書いている。そして、ところでということになるが、それらの計画はカーペット敷きの会議室では素晴らしいもののように見える。

上述したような国を挙げた統合的な計画づくりにかわるものはない。それならなぜわれわれはそれをしないのだろうか? なぜそうせずに、仲間とカーペット敷きの会議室に座って自慢話をする、以前聞いた同じ質問をする、同じ陳腐な決まり文句を言っているのだろうか? なぜ敵を理解するために時間を使うのではなく、プロセスと非現実的な期待で頭をいっぱいにしてしまうのか? その結果、クライシスが避けがたくもたらす現実がわれわれのプロセスと期待に合わずに虚を突かれて無防備となるのだ。

実際、なぜなのだ。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300