2019/07/18
危機発生時における広報の鉄則
何を守るかを明確にする
事件発生時にはとっさの判断ができず、報道各社からの問い合わせが相次ぐ中、どんどん回答してしまいがちです。「コメントしない方針について、理由を加えて公式見解として発信する」ことが最も大切なポイントになります。
1996年に起きた在ペルー日本大使公邸占拠事件と比較すると分かりやすいでしょう。この時は、人質になった駐在員の名前を公表した企業と公表しなかった企業に分かれました。結果はどのようになったか。あまり知られていないのですが、人質の名前を公表しなかった企業の幹部は最初に解放され、公表してしまった企業では最後まで解放されなかった方がいます。この教訓を考えてみましょう。大手商社のN社は4人が人質となり、初期段階で名前と年齢を公表してしまいました。そのうちの1人は最後まで拘束されました。当時の広報室報道チームリーダーは、初期段階で人質の情報を提供することのリスクについて次のように述べています。「(武装した)MRTAは世界中のどこからでも日本人人質に関する情報を即座に入手できる状況にあったのです。(中略)情報化時代の到来を身に染みて実感し、その裏に潜む危険性も発見しました。(中略)われわれ広報担当者は記者の立場や気持ちも理解できましたが、ことは社員の生命に関わっており、情報公開を優先できる状況ではありませんでした。……記者の方々にこの困難な状況を時間をかけて説明し、……例えば、誘拐事件の初期捜査段階では、マスコミが報道自粛を行うのと同様の配慮が必要であろうことも強調しました」(2001年2月15日経済広報センター 「企業・団体の危機管理と広報」)このように不祥事に限らず、公表のタイミングの判断は難しく、判断を誤るとダメージをさらに深めてしまうことにもつながります。
人質の名前を公表しなかった企業の広報責任者、故山中塁氏は日本リスクマネジャー&コンサルタント協会の理事を務めていたことがあり、私の広報・リスクマネジメント師匠でもあります。彼は当時の判断を次のように説明しました。
「何を守るかだよ。そこを明確にして取り組まないといけない。この時は企業ブランドやマスコミとの良好な関係、国民の知る権利よりも駐在員の命を守ることを最優先にした。全てを守ることはできないからね。企業ブランドや評判が落ちることよりも命を救うことだよ。さんざん叩かれたけど、守るべきものは守った」
誰のためにどのような情報を出すのか
日揮の場合には、人質の名前を公表しなかったにもかかわらず、残念ながら命を守ることはできませんでした。しかしながら、記者会見のタイミングを適切な時期に行うことで遺体を持ち帰るという大事なミッションは果たしたといえます。もし、遺体を引き取る前に名前を公表していたら、遺体を持ち帰ることもできなかった可能性があります。人質がいる場合には、その人の情報を一番欲しいのは敵側です。従って、敵に有利な情報を流さないことが人質の命を守るために最も重要なことです。マスメディアはいつでもあらゆる情報を欲しがるし、それが彼らの立場です。誰のためにどの情報を出すのか、出さないのか、企業側で方針を決めるためにも日頃からあらゆるクライシスを想定した訓練が必要です。
(了)
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