2017/10/30
安心、それが最大の敵だ
桐生悠々~軍部の非科学性を痛罵~
満州事変以降、言論統制に躍起になったのが軍部をはじめ軍部と一体となって暗躍した在郷軍人会、右翼、政治家、軍国主義者、暴力集団らであった。1932年の5・15事件のように直接的なテロや暴力を加えたり、軍批判の言論報道には脅迫や威圧を交えて、記事の取り消しや謝罪を要求した上、不買運動という新聞社のアキレス腱を攻め立てて、屈伏させていった。
こうした集団によって標的にされた新聞の一つに長野県の有力紙「信濃毎日新聞」がある。主筆・桐生悠々(1873~1941)は1933年8月1日に社説「関東防空大演習を嗤(わら)う」を書いたが、軍部らはこれを攻撃して退社に追い込んだ。
関東防空大演習は1833年8月9日から3日間、人口500万人の帝都・東京を中心に1府4県で実施された。演習地域は帝都を中心に直径300kmに及び、攻撃方は陸海軍の航空部隊や航空母艦の艦上機があたり、防衛方には陸軍の戦闘機3個中隊がまわり、史上初の大規模演習が展開された。大演習の模様を信濃毎日・朝刊(8月10日)は「3機編隊の赤翼機、凄惨帝都を猛撃、全市修羅の巷と化す」の5段見出しで報じた。
問題となった社説「関東防空大演習を嗤(わら)う」(8月11日朝刊)は、演習2日目の模様を報じる第一面左横に掲載された。特に、笑うではなく、嗤う(「あざわらう」の意)という挑戦的タイトルが冠されていたが、内容はごく常識的なもので、特段反軍的ではなかった。
悠々は防空演習の弱点を鋭く突いた。敵機1機でも東京上空に入れば敗北である。木造密集の家屋は大火災をもたらす。「関東大震災以上の惨状になり、防空演習など全く役に立たない」と論じ、夜襲に備えて、消灯して敵機から見えなくせよというのも非科学的、滑稽であり、「東京上空で迎え撃つのではなく、断じて敵機を領土内に入れるな」と主張した。
「架空的なる演習(防空大演習)を行っても、実際には、さほど役立たない。我儘(わがまま)の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落とすことはできず、その中の2、3のものは帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろう。投下された爆弾が各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東大震災当時と同様の惨状を呈する。だから、敵機を関東の空に迎え撃つということは我軍の敗北そのものである。断じて敵機を我領土の上空に出現せしめてはならない。帝都の上空で敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は滑稽であり、(夜間攻撃で)消灯してかえって市民の狼狽を増大させるのは滑稽でなくて何であろう。赤外線を戦争に利用すれば、明かに敵軍機の所在地を知り得るので、撃退することは容易である。要するに、航空機はヨーロッパ戦争に於て、ツェッペリンのロンドン空襲が示すが如く、空襲したものの勝であり、空襲されたものの負である。空撃に先立って、これを撃退すること、防空戦の第一義でなくてはならない」。防空演習の非科学性を見抜いており、空襲・敗戦を予見した内容となっていた。
桐生の論説は大きな波紋を呼んだ。軍は機密にしていたが、防空戦闘機などなかったのである。在郷軍人会の信州在郷軍同志会はいっせいに反発した。「陛下が御沙汰書まで出した大演習を『あざ笑う』とは何事か」と抗議し、小坂武雄常務の謝罪文を紙面に掲載するよう要求した。同志会は信濃毎日のボイコット、不買運動を起こすと脅した。当時、信濃毎日の発行部数は2万部で、これに8万人という同志会が不買運動を起こせば結果は目に見えている。だが、無謀な軍人の圧力に屈するわけにはいかない。
小坂常務は経営の圧迫に悩み、同志会幹部と再三にわたって会談し、上京して軍部中央とも折衝しようとしたが、軍部は話し合いを拒否した。9月8日、桐生は「評論子一週間の謹慎」を掲載した。天皇の御沙汰の件は恐縮にたえないと謹慎したが、自分の論旨は間違いない、と言外ににおわせた。だが桐生が信濃毎日で再びペンをとることはなかった。信濃毎日の抵抗は不買運動に抗すべくもなく2カ月で屈服した。桐生は3カ月後、30年の新聞記者生活に別れを告げ名古屋守山町の旧宅へ引き上げた。しかし、闘志は燃え続けた。個人誌「他山の石」に拠ってファシズムと戦うのである。
参考文献:「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之)、同書から多くの史実を学ばせていただいた。お礼を申し上げたい。「石橋湛山評論集」(岩波文庫)、「抵抗の新聞人 桐生悠々」(井出孫六)、筑波大学附属図書館文献。
(つづく)
- keyword
- 石橋湛山
- 桐生悠々
- 安心、それが最大の敵だ
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
パリ2024のテロ対策期間中の計画を阻止した点では成功
2024年最大のイベントだったパリオリンピック。ロシアのウクライナ侵略や激化する中東情勢など、世界的に不安定な時期での開催だった。パリ大会のテロ対策は成功だったのか、危機管理が専門で日本大学危機管理学部教授である福田充氏とともにパリオリンピックを振り返った。
2024/11/29
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2024/11/26
-
-
なぜ製品・サービスの根幹に関わる不正が相次ぐのか?
企業不正が後を絶たない。特に自動車業界が目立つ。燃費や排ガス検査に関連する不正は、2016年以降だけでも三菱自動車とスズキ、SUBARU、日産、マツダで発覚。2023年のダイハツに続き、今年の6月からのトヨタ、マツダ、ホンダ、スズキの認証不正が明らかになった。なぜ、企業は不正を犯すのか。経営学が専門の立命館大学准教授の中原翔氏に聞いた。
2024/11/20
-
-
ランサム攻撃訓練の高度化でBCPを磨き上げる
大手生命保険会社の明治安田生命保険は、全社的サイバー訓練を強化・定期実施しています。ランサムウェア攻撃で引き起こされるシチュエーションを想定して課題を洗い出し、継続的な改善を行ってセキュリティー対策とBCPをブラッシュアップ。システムとネットワークが止まっても重要業務を継続できる態勢と仕組みの構築を目指します。
2024/11/17
-
-
セキュリティーを労働安全のごとく組織に根付かせる
エネルギープラント建設の日揮グループは、サイバーセキュリティーを組織文化に根付かせようと取り組んでいます。持ち株会社の日揮ホールディングスがITの運用ルールやセキュリティー活動を統括し、グループ全体にガバナンスを効かせる体制。守るべき情報と共有すべき情報が重なる建設業の特性を念頭に置き、人の意識に焦点をあてた対策を推し進めます。
2024/11/08
-
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方