セキュリティ文化の醸成と意識の高度化 ~2020年に向けて私たちにできること~
9・11後の米国の航空保安体制について
開けてしまったセキュリティホール
Toki's SECURITY Lab./
平川 登紀
平川 登紀
旧姓・宇田川。映画『羊たちの沈黙』のFBI訓練生クラリスに憧れ渡米。ワシントン州立大学大学院で犯罪法学(Criminal Justice)の修士号を取得。帰国後、航空セキュリティ関連の財団法人で、空港保安検査員の研修や保安検査状況の監査を担当し、航空セキュリティに興味を持つ。2007年、東京大学大学院博士課程へ進学し、本格的に航空セキュリティマネジメントの研究をスタート(2011年単位取得満期退学)。2021年に佐賀県唐津市へ移住。現在、フィジカルセキュリティストラテジストおよび航空セキュリティ研究者として活動中。
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これまで4回の連載は、主に日本の航空保安について説明をしてきました。これからの数カ月は、他国の航空保安体制についてお話をします。今月と来月は、9・11により大改革をせざる負えなかった米国の航空保安体制について解説をします。(今月連載予定だった『米国の保安検査と保安検査員』は来月の連載で、説明します)
同時多発テロ後の米国
米国同時多発テロ後、航空保安体制は世界中のどの国においても見直されましたが、真っ先に体制を構築し直した国は、米国でした。過去2度の世界大戦でさえ、本土が攻撃されるということはなかった米国において、中枢都市であるニューヨークがいともたやすくテロリストたちによって崩壊させられたのですから、最速で立て直しを図ったのは当然と言えます。
一度に4機がハイジャックされテロ攻撃を受けた直後、各現場はかつてない事態に大混乱していました。正確な情報の収集や共有が必要であったにも関わらず、運輸省直下の沿岸警備隊と航空局、司法省直下の国境警備隊、財務省直下のシークレット・サービス、さらに国防総省というそうそうたる危機管理組織が、組織内のみの指示と命令に従って動いていました。
当時(日本は今でも?)、危機管理においてこうした縦割り体制だった米国では、組織同士で的確な連携を取れず、情報は錯綜し、危機管理を行う上で必要な関係組織間での共通認識が欠如していました。誰もが経験したことのない事態を前にパニックとなっていました。
当時は緊急事態に関係組織が合同で対応するための統一マニュアルは作成されていなかったことに加え、各組織が行うべき責任範囲が確立されていました。そのため、緊急事態であっても他組織の責任範囲へずけずけと入っていくことは許されませんでした。どの組織も自分たちの責任範囲の中でテロと対峙しようとしており、俯瞰的なマクロパワーを持って全体を統括する組織が存在しませんでした。
2001年9月11日以前、米国の航空保安は様々な組織を寄せ集めて構築されていた共同企業身体だったのです。各自の責任範囲においては強大なパワーを持って対応可能な組織であっても、省庁の垣根を越えて連携しなければならない緊急事態には全く対応ができない集まりであることが、米国同時多発テロへの対処を通じて明らかとなりました。
新しい航空保安対策
同時多発テロから16日後の9月27日、ブッシュ大統領(当時)は米国の新しい航空保安対策を発表しました。新対策では、次の4項目が掲げられました。
①客室からコクピットへつながるドアの強化
②スカイ・マーシャル(航空保安官)の増員
③空港への軍(州兵)の常駐
④連邦政府職員による空港警備
①のコクピットドア強化は、かつて米国内で指示されたことがありました。1972年3月、「キューバ急行」と呼ばれるほどキューバを目指したハイジャックが頻繁に起き、頭を悩ませていた連邦航空局(Federal Aviation Administration: FAA)が、ハイジャック犯のコクピット内への侵入を防止するために、コクピットドアの強化を指示しました。
しかし、当時の米国では、こうした機内整備によるセキュリティ強化よりも、不審者を事前に取り押さえる搭乗前検査の方が重要であるとの声が大半を占めていました。そのため、1973年末にFAAはこの指示を撤回してしまいました。せっかく塞いだセキュリティホールを、航空保安対策の方針転換により、再度自らの手で開けてしまいました。
そして、米国同時多発テロでは、機長がコクピットへ続くドアを開けてしまい、操縦桿を奪ったテロリストたちにより、航空機はワールドトレードセンタービルへ激突する事態となりました。9.11を受けて作成された米国の新航空保安対策①において、コクピットドアというセキュリティホールを再び塞ぐことになりました。最初のFAAによる指示から28年後、それを撤回した張本人であるFAAによって再度の指示が出されました。
さらに約2か月後の11月16日、米連邦議会の上下両院において航空安全法(the Aviation and Transportation Security Act: ATSA)が可決し、19日にブッシュ大統領が署名、即日発効されました。ATSAは、上述した新航空保安対策をさらに強固にした法律で、以下の5項目を主軸に置いています。
1) 運輸保安庁(Transportation Security Administration: TSA)の新設
2)保安検査を民間検査員ではなく連邦政府職員により実施
3)2002年末までにすべての手荷物検査の徹底および爆発物検査強化
4)防弾仕様のコクピットドアの設置と操縦室の構造強化
5)拳銃を所持するスカイ・マーシャルの航空機への警乗
ATSAの柱は、国土安全保障省(Department of Homeland Security: DHS)と運輸保安庁(Transportation Security Administration)という新しい組織の設立でした。
各省庁の緊急事案対応部門をまとめ、国土と国民を脅威から守るための機関として危機管理、テロ対策、保安警備を担う国土安全保障省(DHS)が設立されました。同時に、鉄道、航空、道路といった国の輸送機関システムの安全を強化するため運輸保安庁(TSA)が連邦航空局(FAA)の下に新設されました。設立直後から今日にいたるまで、TSAは米国の組織でありながら他国の航空保安体制にも大きな影響を与える存在となっています。
来月は、新組織TSAの登場で米国の航空保安体制がどのように変化し、保安検査がどう変わったのかをお話しします。
ご意見・ご感想をお待ちしております。
(了)
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