<帰国後>

在日19年間の大きな業績は、地震観測関係の機器、計器類の創案と改良の他、鉄道方面では線路や機関車の改良による燃料の節約、また建築の面では地震国日本のために「堀込基礎橋台の構造」という耐震建築の創案などの見逃し得ないものがある。ミルンは数々の偉業を残し、1895年(明治28年)任期満ちて帰国の時には、夫人(トネ子、函館願乗寺堀川乗経の長女)を伴い、ロンドンに近いワイト島シャイド丘に住んだ。彼はここでも住宅と共に地震観測所を建てて終生の事業として地震の研究に専念した。1898(明治31年) 著書「地震学」を出版する。

ミルンは1913年(大正2年)7月31日シャイドの自宅で死んだ。享年64歳。セント・ポール寺院に葬られた。シャイド地震観測所は遺言によってイギリス科学協会に移され、オックスフォード大学に永久保存されて、彼の偉業は今日も受け継がれている。ミルン夫人は、彼の死後もシャイドの自宅に住んでいたが、子どもがいないのと病弱のため、1919年(大正8年)帰国して別府で療養後、郷里の函館・湯の川温泉などで静かな余生を楽しんでいたが、1925年1月30日、函館の自宅で病死した。享年67歳。

参考文献:「お雇い外国人 建築・土木」(村松貞次郎)、梅渓昇氏論文、国立科学博物館資料、筑波大学附属図書館資料。

(つづく)