2019/09/30
安心、それが最大の敵だ
<地震に驚き、関心を抱く>
「朝食に地震、昼食に地震、夕食に地震、睡眠時に地震、これでは誰だって地震に関心を持たない訳にはゆかぬではないか」。これは明治期での理工系エリート国立大学・工部大学校(東大工学部前身)の金石地質および鉱山学教師としてイギリスから招かれたジョン・ミルン(John,Milne、1860~1913)が、来日早々恐怖をまじえて漏らした言葉であり、彼の専門の鉱山地質学と並行して、日本の地震学ひいては耐震建築にまで貢献するに至ったきっかけである。明治初期、お雇い外国人技術者として、「災害大国」日本の地震学の基礎を築いたミルンは、在日した外国人の中でも大いに注目されていいと考える。(以下「お雇い外国人 建築・土木」(村松貞次郎)、梅渓昇氏図書・論文を参考にし、一部引用する)。
ミルンは、イギリスの港湾都市リバプール出身の鉱山技師であり、後年地震学者、人類学者、考古学者としても知られるようになる。東京帝国大学名誉教授であり、日本における地震学の基礎を創成した恩人である。
1875年8月、工部大学校に招かれることを約束した25歳の若きミルンは、その赴任のコースをシベリアに求めた。8月3日、イギリスのハル港を出帆し、スウェーデン、ノールウェー、フィンランドを経て、ロシア首都セント・ピーターズボルグ(現サント・ぺテルブルグ)に出て、その後欧亜間の通商路であったシベリア鉄道の路線を経由してウラルに出た。さらに外蒙古、内蒙古を過ぎ、万里の長城を越えるという大冒険旅行をして上海に到着し、ようやく東京に着いたのは1876年(明治9年)2月24日であった。この11カ月間の未開不毛の地での大冒険旅行の苦しさは筆舌に尽くせないものがあったに違いない。が、鉱山学者として得るものも多かったであろう。
同年3月8日付、工部省工学寮(工部大学校前身)地質学鉱山学教師の辞令を得たミルンは、当初3年の期限で1カ年英貨800ポンドの割合をもって日本銀貨にて月末支給という約束であった(青年研究者には破格の高級である)。宿舎にあてられた工部大学校の教員用レンガ造り官舎はまだ完成していなかったため、一時近くの山口屋敷(今のアメリカ大使館の地)に住むことになったが、その赴任第一夜に地震に襲われ、家屋が音を立てて動揺するのにすっかり度肝を抜かれ、同時にまた非常に興味を持つようになった。非凡である。
工部大学校では都検(今の学長)ヘンリー・ダイヤー(スコットランド出身の土木工学者)の下で、鉱山学、冶金学を教授し、さらに1886年(明治19年)工部大学校も加わって帝国大学が成立すると、その工科大学に教鞭をとった。1895年、満期帰国の時には、その功労によって勲三等旭日中綬章が与えられ、恩給年金1000円をたまわる光栄に浴した。(今日の1億円前後)。
- keyword
- 安心、それが最大の敵だ
- ミルン
- ジョン・ミルン
- 地震
安心、それが最大の敵だの他の記事
- 最終回:偉才・嘉納治五郎の知られざる一面
- 1000年前・鎌倉時代の関東大水害
- 飢饉・飢餓の歴史を振り返る
- 北海道開拓の父、米国人ケプロン
- お雇い外国人ミルン、日本の地震・耐震構造学の父
おすすめ記事
-
-
-
-
-
月刊BCPリーダーズ2025年上半期事例集【永久保存版】
リスク対策.comは「月刊BCPリーダーズダイジェスト2025年上半期事例集」を発行しました。防災・BCP、リスクマネジメントに取り組む12社の事例を紹介しています。危機管理の実践イメージをつかむため、また昨今のリスク対策の動向をつかむための情報源としてお役立てください。
2025/10/24
-
-
中澤・木村が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/10/21
-
「防災といえば応用地質」。リスクを可視化し災害に強い社会に貢献
地盤調査最大手の応用地質は、創業以来のミッションに位置付けてきた自然災害の軽減に向けてビジネス領域を拡大。保有するデータと専門知見にデジタル技術を組み合わせ、災害リスクを可視化して防災・BCPのあらゆる領域・フェーズをサポートします。天野洋文社長に今後の事業戦略を聞きました。
2025/10/20
-
-








※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方