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大学は、学校教育法上「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」とされており、教育、研究、社会貢献が事業の柱となる。大学は、これらの取り組みに必要な要素の多くを自組織の管理下においている。さて、このような事業体における事業継続は容易といえるかが今回のテーマである。

編集部注:「リスク対策.com」本誌2015年5月25日号(Vol.48)掲載の連載を、Web記事として再掲したものです。(2016年8月26日)

大学の事業継続を困難にするのは自然災害が多い 
過去20年の大学における講義に支障が生じた事例を確認すると、そのほとんどが自然災害による建屋被害である(表1)。自然災害以外で見た場合、構成員のトラブルや経営上のトラブルは相当の件数にのぼる。構成員のトラブルとしては、未成年者の飲酒喫煙、ソーシャルメディア上の不適切な発言、ハラスメントなどが挙げられるし、経営上のトラブルとしては学生数の減少、資金運用の失敗、不適切な経理処理などがあるが、これらのトラブルが講義に支障を及ぼした事例は見られない。

兵庫県南部地震における大学の事業中断 
兵庫県南部地震は、兵庫県の都市部を襲った直下型地震であり、主に建物の倒壊、崩壊や地震後の広域火災により多くの人命が失われた。京阪神地域の大学は、多かれ少なかれこの地震による影響を受けているが、中でも兵庫県内では44大学に被害が発生、うち9大学は全壊を含めた大規模被害を受けた。 

A大学は、兵庫県に本拠地を置き、多数の学部を有する私立大学であるが、この地震により、学生15人、教職員8人が死亡、被害は建物および備品設備類をあわせて3億7000万円に及んだ。また、やはり多数の学部を擁する国公立のB大学は、学生39人、教職員2人が死亡、備品設備類の被害だけでも26億4000万円に及んだ。A大学およびB大A学の公式記録をもとに、発災後10日間の対応過程を明らかにしたのが表2である。 

A大学とB大学の対応を見比べると、A大学の方が対応を迅速に進められているように見えるかもしれないが、それは正しい見方とはいえない。両大学の事情で大きく異なるのは、「公設避難所の指定を受けていたか否か」である。A大学は公設避難所の指定を受けていなかったが、近隣の公設避難所が定員超過の状態であることを踏まえ、学生の収容を開始したタイミングで、近隣住民の受入れもあわせて行っており、その数は多いときでも200人前後に留めている。一方、B大学は、公設避難所の指定を受けており、近隣住民の避難者数は、最大2000人を超えていたとの記録が残っている。 

このことは、限られた教職員をどこに振り向けるかというテーマに大きく影響する。A大学は、学生ボランティア中心の運営体制を構築することに成功し、早い段階で被災者自身の運営に切り替えることを模索している。一方、B大学は救援物資の受入れ・配布などの災害関連業務を処理するため、発災直後は、事務職員、教育職員が一体となって、業務に従事し、その後も土日および休日における勤務(宿泊勤務を含む)を7月まで継続した。 

公式記録書には、被災した大学と支援する側の認識の齟齬、一例として、支援物資の搬入を深夜に行う計画を一方的に実施されたことや、緊急とは考えにくい事柄を時間と状況を無視して問い合わせてくるなどの対応が、業務に大きな影響を与えたと記されている。東北地方太平洋沖地震における大学の事業中断 東北地方太平洋沖地震は、我が国の東北から関東の広い範囲に未曾有の被害をもたらした海溝型地震であり、主に津波により多くの人命が失われた。この地震により発生した原発事故の影響もあり、全国の大学に何らかの影響が生じているが、今回は東北地方に本拠地をおく2つの大学の対応を取り上げる。 

C大学は、宮城県に本拠地を置き、多数の学部を有する国公立大学であるが、この地震により、学生2人、入学予定者1人が死亡、被害は建物および備品設備類をあわせて569億円という巨額に及んだ。また、私立D大学は、学生5人、入学予定者4人が死亡、備品設備類の被害は13億1000万円、修学支援費用は8億5000万円に達した。C大学およびD大学の公式記録をもとに、対応過程を明らかにしたのが表3である。 

実は、C大学とD大学は、本部所在地がほぼ隣接しており、地震動のレベルはほとんど変わらない。両大学の主力拠点とも、津波による被害は受けていない。

両大学の対応が異なる点として、ここでは2点に着目する。