障害を持つ娘と過ごす母の気持ち

「助けてほしいと訴えても皆さんもどうしたらいいのか…わからないと思うんです。ヘルプカードやコミュニケーション用のバンダナは見たことがありますか」とお話してくださったのは、障害者の地域活動支援センターIII型 「麦の家」理事長・礒崎(崎の右上は立)たか子さん。

 CSWとは、日頃からコミュニケーションを取り、相談しながら、障害のある子どもの親として地域社会に働きかけを続けておられます。

「障害と一言で言っても様々な症状があります。また見た目ではわからないこともあります。私の娘は、急に発作が起きるので普通に過ごしていてバタンと倒れる時があるのです。どうやって対応したらいいかわからなくなりますよね」と礒崎さん。

災害時に同じ避難所で過ごしているときに共生するには、お互いに「知る」そして「助け合う」環境づくりが必要ですね。

「見た目でわからない障害も含め、自分は助けてほしいんだということを示す『ヘルプカード』。障害の症状や緊急連絡先が書けるようになっています」(礒崎さん)。

 


「『耳が聞こえない』ことを示すバンダナ。被害状況が放送などで流れていても聞こえない方が隣にいるという気づきになります」(礒崎さん)。

 

礒崎さんは、区内で行われている帰宅困難者対応の会議にも出席されています。そこまで熱心に動かれるのは、ご自身の体験が大きかったようです。

昭和50年(1975)、礒崎さんの次女は2歳半で化膿性髄膜炎の後遺症を負い、言葉を失い、半身マヒが残りました。娘が幼稚園選びの時期になり、足が止まりました。

「行く場所がなかった」(礒崎さん)。

でも自分で探すしかないと思い、動き回られました。小学部へ行く時も同じ。礒崎さんは「知的と身体両方の障害があるとどこの学校に行けばいいのか全然わからなかった」と振り返ります。学校が見つかったとしても、スクールバスが家の近くまでお迎えに来てもらえない状況。ここでも礒崎さんは動き、家の近くまでバスが送迎に来てくださることに。

今までの人生、自分自身で動き、状況を変えてきた礒崎さん。動かなければ何も変わらないという経験があるからこそ、今も地域の会議に参加し、ただ求めるだけではなく、地域住民それぞれが暮らしやすいように声を挙げておられます。

「頼るだけではなくて、自分たちではどこまでできるかを伝え、これ以上は難しいので助けがほしいと伝えるようにしている」と礒崎さん。

「受け身で助けてほしいと思っていてもだめで、助け合うには発信することが必要だと思っているんです。会議に出席して、配慮してほしいことがあれば、伝える。伝えないと皆さんもわからないですから」と、自ら行動して、対策案を考えようと意欲的に行動されています。

写真を拡大 「ここにも参加します」と礒崎さんが渡してくれたチラシ。自ら動くことで変わる