2018/12/03
安心、それが最大の敵だ

開拓の指導者・技術者として
少数の教授陣の中でただ一人の土木技術者であるホィーラーは多忙であった。彼はお雇いの土木技術者として未開の地だった北海道の開発や発展のために多くの実績を残した。彼が教壇に立ちながら、寸暇を惜しんで北の大地を開いた主な事業を挙げてみる。今日札幌市民の誇りであり観光名所となった「札幌時計台」(コロニアル様式、国指定重要文化財)として知られる演武場の設計をはじめ、科学的観測に基づく気象観測所の設立がまず挙げられる。札幌から石狩川沿いの篠路(しのろ)までの水路の拡張と直線化工事のための測量調査、札幌・小樽間の道路と鉄道敷設のための実地調査。これは札幌・室蘭間の計画と比較を行った詳細な報告書となり、予算案も付けて政府に提出された。北大キャンパスに残る北米風の巨大モデルバーン(模範畜舎、国指定重要文化財)の設計施工さらには豊平橋改築、材料強度試験、大そり・水揚げポンプ・除雪機の指導製作、煉瓦造りの指導…青年技師の実績は数え挙げたらきりがない。
約束の2年間の任務が終了するのに際して、日本政府はホィーラーの実績を高く評価し1年間延長することを強く望んだ。ホィーラーは悩んだ末にそれを受け入れ、郷里にいったん帰国して結婚した後、妻を連れて再来日した。1878(明治11年)3月に交わした契約延長の契約書が残されている(原文のママ)。
「上局 外事課
明治十一年三月二十二日 於札幌
札幌農黌(ルビのうこう)教頭ウヰルリヤム・ホヰラー貴下
貴下義 本年五月二十日ヲ以テ雇満期ニ相成候処、更ニ十五ヶ月ヲ延期シ即チ本年五月二十一日ヨリ明治十二年八月二十一日迄給料壱ヵ年金貨三千六百円の割ヲ以テ従前同一ノ約定ニ拠リ雇継候条領諾ニ於テハ請書御届ケ出候相成度候 黒田長官ノ命ヲ受比如(ルビかくのごとく)申進候 敬具
開拓大書記官 堀基」
注:「上局」は「通知書」または「連絡文書」の意」
「真理」に生きる
“To live in Truth toward all mankind with helping hand, kind heart , just mind”
(「全ての人々に分け隔てなく支援の手、親切な心、正しい精神をもって接し『真理』に生きる」)。若き教授ホィーラーの独自の愛唱句でありモットーでもあった。新渡戸稲造は後年回顧して言う。
「人の使い方といい、復命書の議論の立て方といい、又文章の規律の正しいことといい、今更懐古すれば、クラークを除きては、外国教師中この人(注:ホィーラー)の右に出づるはなかるべし」(「北大百年史編集ニュース」)。確かに彼の年齢を考えるとき、その才能は傑出していたと言える。
ホィーラーは3年間の任務を無事終えて明治12年(1879)末に札幌を後にした。帰国したホィーラー夫妻は郷里コンコードの人々から暖かく迎えられた。彼の邸宅は郷里の自然豊かな丘に建てられ、札幌時代に夫妻でよく散策した円山公園からとって「円山館」(MARUYAMA KWAN)又は英語で“The Round Hill House”と名付けられた。彼が母校の交友会誌に寄稿した「札幌農学校について」に注目したい。日本や農学校の記憶が鮮明な段階での鋭い「日本教育論」である。一部を引用する。
「日本の学生は欧米の学生に学問への情熱では引けをとらないと指摘する。しかしながら、現実の生活の中では、西洋文明の推進力であり成果である実際的で進歩的で自覚に満ちた精神については、日本の学生ははるかに及ばない」
「何世紀もの間、過去の日本の学問的関心は、自然、社会、人類の能力に関する最高の法則や規則に深い関心を示さずに来てしまった。中国の活力のない古い知識を大切にして尊敬しすぎたことも、大きな飛躍が出来なかったことにつながっている。ぼう大な量の文字を習得することが唯一の知識人たりえる手段だと考えることにより、さらなる知力や進歩を獲得することがなくなってしまっている。一部の芸術分野では完璧の域に達しているのに、現実的な設計や創作ではそうした方策が無視されている」
「日本の学問はぼう大だが意味がなく、記憶力を最高に高めるだけで、創造する能力を高めない」。現代の日本教育界にも通じる卓見である。
帰国後、コンサルタントとして活躍
ホィーラーは国際港湾都市ボストンの中心街に建築土木コンサルタントの事務所を構えた。その広告文には「日本政府に招聘されたシビル・エンジニア」とのうたい文句が強調されている。彼は数少ない日本政府に招聘された著名人であった。その活動は目覚しく上下水道工事の権威者と見なされるようになる。(今日ホィーラーは、上水道技術のパイオニアとして世界的に著名である。彼が開発した水質浄化システムは「ホィーラー式浄化濾床」(Wheeler filtration bottoms)として今でも使用されている。また彼が発明し特許をとった機器類は100点を越える)。財産には恵まれたが、つつましく生きることが生活信条であった。昭和7年(1932)7月1日、老衰のため逝去した。享年81歳。夫妻には子どもはなかった。
参考文献:拙書「お雇いアメリカ人青年教師、ウィリアム・ホィーラー」(鹿島出版会)
(つづく)
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