コロナ禍ではマスクルールをめぐる分断が起きた(イメージ:写真AC)

社会の分断につながるルール至上主義

コロナ禍で緊急事態宣言が発令されたことは記憶に新しい。当時の混乱は「明日はニューヨークになる」「何もしなければ国民の〇〇人が死亡する」などの恐怖が喧伝され、東京都知事が「ロックダウン」に言及するなど混乱に拍車をかけていた。

マスメディアの恐怖煽り一色に社会が染まり、異論を許さない状況が生まれていた(イメージ:写真AC)

その当時の情報環境は酷い状況であった。異論を発するYouTuberが童謡チューリップの歌詞になぞらえて『最多!最多!…並んだ!超えた!‥』とマスメディアの煽り報道を風刺し批判するほど、恐怖煽り一色にマスメディアは染まっていて異論を許さない状態であった。実際に異論を発する言論に対して、極めて厳しい統制がなされていたのは事実であり、その風潮に社会全体が乗っかり、異論者への攻撃は言葉で表せないほど厳しいものであった。

確かに緊急事態において、情報の統制は必要不可欠である。ロシアのウクライナ侵攻当初、短期間で全土制覇できる見込みと言われつつ、現実はそう簡単ではなかった。そのロシアの侵攻を食い止めた大きな要因は、インフラも含めた情報基盤の確立であったとされている。つまり混乱する危機状態において、情報はそれほど重要なのだ。

その観点でいうなら、コロナ禍の緊急事態においても、一定の情報統制は必要だったのは間違いない。しかしそれは事後に総括し検証して是正が図れることが前提であり、事後検証の厳しさが行き過ぎの危険性を担保するのである。それがなされず、その機運も高まらないことが日本の抱える問題点だろう。

当時ほど異論に対する攻撃性はないとはいえ、マスメディア等の情報環境はいまだ異論はタブー視し、報道しない自由が発動されており、本質は何も変わっていない。

自分で情報を読み解き自己責任を前提とした判断で行動するか、与えられた情報を疑うことなく唯々諾々とルールに従うか(イメージ:写真ACを)

その結果、情報に対する姿勢で分断構造が生まれている。自分自身で思考し、自己責任の前提を認識した判断で活動できる行動原理を持つ人と、一色に染まっている受動的情報をいまだに疑うことなく、その情報環境にのっとって策定されたルールの本来の目的に見向きすることもなく、思考停止状態で文字面を追いかけて唯々諾々と従う人との差が拡大しているのである。

実際、今現在においても強迫観念に駆られて抜け出せないままの人も少なくないように感じるのは筆者だけではあるまい。

これらの現象の具体例をいくつか紹介して、皆さん個々人での思考を働かせていただきたいと考えている。