倒壊した木造建物。1階部分は車庫と作業スペースとみられる

2024年元旦の日本を襲った令和6年能登半島地震は、直線距離で東に約150キロメートル離れた新潟県新潟市でも被害を発生させた。同市西区の中野小屋地区では複数の木造建物が倒壊。1階部分が崩れた農作業小屋の隣に住む長谷川富一さんは「(小屋が)崩れた音には気づかなかった。地震が激しく揺れている最中はそれどころじゃなかった」と話す。

地震発生時は自宅にいて、家族は無事だったという。農業を営む長谷川さんの作業小屋も傾いた。土塀も崩れ、柱には縦に裂け目が入った。衝立で小屋を支えながら、機材を運び出している。自宅の壁にもヒビが入ったという。「新潟地震でも小屋や土蔵は大丈夫だった。なぜ(震源地から)こんなに離れたところで被害が発生したのか」と話す。

中野小屋地区から新潟市中心に向けて車で15分ほどの距離にある県道16号線沿いも被害が目立つ。盛り上がり、段差が生じている道路や液状化が原因とみられる砂の噴出跡がそこかしこで見られる。坂井輪郵便局では傾いた駐車場に水が流れ込み、複数の車が搬出できないままの状態。坂井輪中学校では大きな裂け目が剥き出しのままだ。

脈打つように崩壊した道路路盤。液状化が起きたとみられる
傾いた駐車場に水が流れ込んだ坂井輪郵便局

県道16号線に面して理容業を営む安藤哲夫さんは「あまりの揺れの激しさで家から飛び出ました」と振り返る。地震後に確認すると理容店の駐車場と道路の間が裂け、50センチを超える段差が生じていた。「新潟地震ではこの辺りは被害がなくて大丈夫だった。今は家の中も傾き、ビー玉が転がるほど」と話す。

道路との間に大きな段差
倒壊するブロック塀

同じく県道16号線沿いに住む男性は、地震発生時は自宅の2階に家族といて「テレビが倒れないように必死で抑えた」と話す。揺れが収まった直後に窓を見ると、向かい側の住宅で倒れるブロック塀が目に入ったという。そして外に出ると目の前の道路と住宅の間に30センチを超える大きな段差が生じていた。「車が出せないので、とにかく不便。電気は通っているが水道とガスがまだ復旧しない」と話す。

「本当に激しい揺れでした」と語る女性の自宅は、液状化とみられる水と砂の噴出で、基礎部分が埋まったという。やはり水道とガスが止まったまま。家族が水などを運びこみ、避難せずにそのまま住んでいる。

(1月3日、写真・記事:山下祐司)