ロックフェラー財団100RCに見る街づくりのポイント
適応、持続性、繁栄、埋め込みの4つのアクションプラン
第14回:メルボルン(オーストラリア)
国際大学GLOCOM/
主任研究員・准教授、レジリエントシティ研究ラボ代表
櫻井 美穂子
櫻井 美穂子
ノルウェーにあるUniversity of AgderのDepartment of Information Systems准教授を経て2018年より現職。博士(政策・メディア)。ノルウェーにてヨーロッパ7か国が参加するEU Horizon2020「Smart Mature Resilience」に参画。専門分野は経営情報システム学。特に基礎自治体および地域コミュニティにおけるICT利活用について、レジリエンスをキーワードとして、情報システム学の観点から研究を行っている。Hawaii International Conference on System Sciences (2016)およびITU Kaleidoscope academic conference (2013)にて最優秀論文賞受賞。
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世界一住みやすい街・メルボルン
これまでしばらくアメリカの都市を取り上げてきましたので、今回は、南半球に注目し、オーストラリアのメルボルンをご紹介します。メルボルンはオーストラリア南東部に位置する、人口500万人弱を抱える大都市です。全体の面積は1万平方キロメートル。メルボルンは5つの管区に分けられ、その中に32の行政区を抱えています。地形的にはポートフィリップ湾に面し、世界で最も住みやすい都市として名前を聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
オーストラリアは、国の成り立ちから、住人は白人やオセアニア系、アジア系が混在しています。メルボルンにも180を超える国々をルーツとした住人が住み、固有の文化が根付いている地域は100を超えるとも言われています。住人の3分の1が海外で生まれ、10人に3人が、家では英語ではない言語を話しています。
現在のメルボルンの地にはおよそ3万年前から原住民が住み始めます。今からおよそ180年前の1847年に、メルボルンは公式に都市として形作られました。1850年代のゴールドラッシュにより、多くの移民がヨーロッパや中国、アメリカから移住します。移民は第二次世界大戦後にも流入のブームがありました。
2000年前後からは大きな災害に見舞われています。1998年にはガス工場の爆発によりメルボルンでは部分的に2週間ガスの供給が止まり、2009年には山火事により2000軒以上の住宅が被災。2010年から2011年にかけては大規模な洪水に見舞われました。2014年には熱波が押し寄せ、心臓病の救急搬送が前年比97%も増加しました。2000年代からは人口が急増し、医療や交通といった社会インフラのキャパシティを圧迫。特に、インドと中国からの移民が著しく増加しています。
メルボルンのレジリエント戦略は、32の行政区やメルボルンが属するビクトリア州政府など、230の組織から1000人もの人が関わって作成されました。
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