東日本大震災では多くの被災者に灯油を届けた(写真提供:シューワ)
今年
(写真提供:シューワ)
6月に発生した震度7が2回発生するという観測史上まれにみる大災害に襲われた熊本県。特に益城町は活断層の真上に位置したことから、甚大な被害を被った。しかし、今回の震災では東日本大震災と違い、燃料供給における深刻な事態をニュースで聞くことは少なかった。その影の立役者が、大阪府堺市に拠点を置き、石油の巡回販売から空調メンテナンス、太陽光発電事業などさまざまな事業を展開するシューワ株式会社だ。同社は東日本大震災の教訓を生かし、全国11カ所に燃料備蓄タンクを整備。そのうちの1カ所が益城町に隣接する菊陽町に設置されており、そこに備蓄されたおよそ3万リットルの燃料が、今回の熊本地震直後の復旧に大きく貢献していたのだ。熊本地震における同社の取り組みを取材した。

 

シューワ代表取締役社長の矢野秀和氏

「東日本大震災では、内閣府の要請を受けて岩手県盛岡市の災害対策本部に呼ばれ、大阪から駆け付けたタンクローリー9台で約2カ月間、被災地に燃料を届けた。津波で被災した釜石市で、奇跡的に流されずに済んだオイルターミナルから燃料を引き出したこともある。宮古市から大槌町、大船渡市、陸前高田市とおよそ200km以上を走り、避難所や自衛隊の基地に毎日油を届けていた」と話すのは、シューワ代表取締役の矢野秀和氏。

「東北は3月の終わりになってもまだ寒く、被災した方から『暖房灯油を持ってきてほしい』と言われた。当社はもともと灯油巡回を生業としていたため、避難所の外に出ているポリ缶やドラム缶にどんどん給油していった。そのうち(当社のテーマソングの)「雪やこんこ」の音楽を車から流したら、『灯油が来た、配給が来た』と被災地の方が喜んで空のタンクを持ってきてくれるようになった」と当時を振り返る。

当時は燃料の出荷制限がかかり、10リットルの灯油の配給を受けるために被災者は前日からガソリンスタンド前に並ばなければいけなかった。燃料の調達は文字通りの死活問題で、並んでいる車内で死亡者まで発生している。しかし通信事情が悪かったため、少し離れた内陸部の親戚の安否も車で行かなければ分からない状況。燃料問題は深刻だった。同社のタンクローリーは国から緊急車両の指定を受け、ひたすら燃料を被災地に届けた。その量は1日およそ8000リットルから1万リットルに及んだという。