長崎への原爆投下
鉄のカーテンの両側で政治家と将軍たちは、もし、相手側がこちらを皆殺しにするなら、相手側も皆殺しにすると保証した。つまり、われわれは人間を抹殺することに同意することで、人間性を維持するのである。

ルイス・ラプハン「化石の森」

核戦争イメージが、冷戦を記憶している人たちをぞっとさせた。

冷戦の種は、1938年12月に、ドイツの科学者が核分裂、すなわち核の連鎖反応によって電力と巨大な爆発のための莫大なエネルギーを発見した時にナチスドイツに植え付けられた。

翌年アルバート・アインシュタインが、ルーズベルト大統領に一通の書簡を送り、ドイツはこの新発見を利用して、新型スーパー爆弾を製造しようとしていると警告した。この危険を理解した大統領は、自分たちのスーパー爆弾の開発を急ぐように、米国政府に命令したのである。これがトップシークレットのマンハッタン計画である。1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴード近くのトリニティ試験場に、マンハッタン計画の科学者たちが世界で最初の原子爆発を見るために集まった。 

3週間後、米国B-29爆撃機は、原子爆弾第一号の「エノラ・ゲイ」を日本の広島市に投下し21万人を殺した。

その4年後に、ソビエト連邦は自前の装置の試験に成功している。その後40年にわたって、超大国は脅威、プロパガンダ、一か八かの代理戦争で象徴される冷戦に縛り付けられることになる。
両国は、相手方の都市を狙って発射できる、最先端技術のシステムとともに、強力な爆弾の兵器庫を建設した。

米国とソビエト連邦の軍拡競争は、本格的に進行した。真に恐ろしい危機のときに中断されながらも、数十年間変わらぬ恐怖が持続することになる。

ジェフリー・ルイス「我々の核未来」

軍事戦略家は、この危機状況をねじれた心理学的なロジックで正当化する。私の敵は、彼の全てのミサイルを発射しないだろう。なぜなら彼は、われわれに報復ミサイルを発射する十分な時間があることを知っているからだと。

全面攻撃は攻撃者も破滅させるというドクトリンは、相互に保証された破滅として知られ、より適切な頭字語MAD(mutually assured destruction)でも知られている。
MADは秘密ではない。
実際に、核による皆殺しの脅威は絶えず存在し、アメリカ人の意識にも浸透して、われわれの大衆文化を形作っている。これは、おそらくアメリカ人ティーンエージャーとして知られる現象の中にはっきりと見ることができる。

商品を欲しがり、享楽を求める個人は、今すぐにも爆破されるかもしれない世界に生息するのに適している。どうせ存在しないかもしれない明日のことなど考えもしないで、今の瞬間だけを生きている。
            
ジェフ・ニュータル「爆弾文化」

MADが将来のある生活を考えることを不可能したと主張する人もいる。しかし、彼らは間違っている。アメリカ人は将来を心配し、他の誰とも同様に自分たちの生活を計画した。

われわれは、できるだけ簡単な方法で恐怖に対処してきた。それを遮断してしまうのだ。そのために、壁が必要だ。岩のように固く突き破られない壁が、われわれが制御できない力によって、私たちの知っている、また愛しているも全てのものが瞬時に焼き尽くされてしまうという考えを遮断してくれる。
われわれは、希望の壁を築いたのだ。