2019/06/03
安心、それが最大の敵だ
「英文日記」の意義
嘉納は外遊期間中「英文日記」を記している。嘉納が語学の才能にたけており、英仏独3か国語、中でも英語は翻訳を手掛けるなど読み書き会話に秀でていたことはよく知られている(生涯の外遊は13回に上る。当時としては異例である)。
筆者(高崎)はこの「英文日記」の原文を読む機会を得ていないが、「嘉納治五郎」(加藤仁平)に和訳文が詳述されている。同書から適宜引用することにしたい。ストックホルム滞在中の記述を中心とする。
「明治45年6月29日(土)、明るい夏らしい日である。6時起床、これを書く。
<肉体の鍛錬>日本人を強い健康な人とする方法として、我々が先ず為すべき事は、鍛錬を好むようにする事である。そのためには誰にでも出来るような鍛錬を奨励する必要がある。これは、言うまでもなく、跳ねたり走ったりすることと共に歩くことである。更に水泳、柔道、その種のものとして剣道がある。人々は屋内スポーツと共に、屋外スポーツにも努めなければならない。柔道・剣道を親しみやすいものとする方法が工夫されねばならぬ。…」「午後、ドイツとスウェーデンのフットボール(サッカー)の試合を見る。スウェーデンが負けた」。嘉納が目前の競技の勝敗だけでなく、日本人の将来について体育全般に強い関心を示していることがわかる。
(筆者注:嘉納はこの後もフットボールやテニスの国際親善試合をたびたび観戦している。強くひかれるものを感じたようである。関連書物を購入し欧米チームのコーチに指導方法も質問している)。
「7月1日(月)、6時頃起床。町に買い物に行く。英スウェーデン辞典、医学整形外科的体育(図書)、万年筆を求む」
(筆者注:医学一般や整形外科学の専門書をしきりに買い求めている。スポーツ医学に強い関心を抱いている。時には柔道も披露している)
「7月6日(土)、今日は競技の開会式の日である。国王夫妻がスタジアムに来られた。われわれは国王をスタジアムへの道に迎えに出た。その後行進が始まった。私もそれに加わった」
(筆者注:初参加の日本に加えて28カ国、3282人の各国代表がABC順に、先頭に国旗をささげてユニフォームも美しく入場した。日本選手団の入場式には金栗がNipponと書かれたプラカードを、三島が日の丸の旗を持って前列に並び、2列目に嘉納IOC委員、大森兵蔵、田島錦治(京大助教授)とスウェーデン日本公使館のスウェーデン人書記が続いた。選手の服装は三島が白の半袖のユニフォームに黒のソックス、白の運動靴、金栗は同じユニフォームに黒足袋で、ユニフォームにはいずれも日の丸のマークを着けていた)
行進の後、スウェーデン体操があった。男も女も非常に立派であった。100メートルの予選が17組に分かれて行われた。三島は第16組に出場した。彼はほとんどいつもの通りに走ったのだが、他の選手がすごく早いので彼は予選で失格した。レストランで昼食をする。帰宅しトルコの委員セリニシリベイを待つ。彼は来た。彼と王のガーデンパーティに行く。午後4時14分。午後6時半に帰り夕食。田島助教授、三島、金栗らと水泳を見に行く。午後9時半頃帰る。体を洗い、室内でちょっと体操をし、11時頃寝た」
(筆者注:嘉納は水泳に強い関心を示す。彼は参加国の代表や外交官らとも進んで交流している。晩餐などの懇談経費は嘉納の自前であった。彼は交際交流の先駆者であった)
「7月11日(木)、夕食後一人で水泳を見に行く。一旦帰ってからオリンピック組織委員会の招待でオペラに行く。オペラを見ている間に頭に浮かんだこと。
『美しい眺めや良い音楽等を楽しむ喜びは、ちょうど我々が、筋肉を使うことに依り生ずる喜びが、肉体鍛錬の結果であるのと同じように、ある種の知的能力の鍛錬の結果である。我々が舞台を眺めて喜びを感じ又楽しみを感ずる理由は、知的鍛錬から生ずる満足感である』」。ここに嘉納は肉体鍛錬と同じように知的鍛錬から生じる喜びを見出している。
「7月14日(日)朝、各国の人々が集まり、金栗の応援について相談する。午後1時半頃、競技場へ行く。80人以上に混じって金栗がマラソン競技にスタートする。不幸にも15キロ行ったところで心臓が苦しくなり走るのをやめた。6時半頃、帰途、途中(日本)公使館でお茶を飲む」。
(筆者注:マラソンは競技場から折り返し点ソレンツナに至る往復42キロのコースで行われた。石畳の多い、険しい起伏のある困難なコースである上に、この日は炎熱焼くがごとき猛暑であったので、出場者68人中落伍者が34人にのぼった。中でもポルトガルのラザロ選手は日射病で倒れ、翌日病院で死亡した。金栗は10キロまでは好調であったが、16キロ当たりで歩き始め26.7キロでついに棄権した。落伍したのである。近くの農家が手当てをしてくれたが、一時行方不明と騒動になった。三島も金栗も完敗したが、嘉納の心は動揺していない。金栗たちを慰めた嘉納の言葉を金栗は終生感謝していた。「嘉納先生は『お前達2人が両種目とも破れたからと言って、日本人の体力が弱いわけではない。将来がまだある故、しっかりやれ』と言って笑いながら元気づけてくださいました。私達はこのお言葉に本当に感謝して『またやるぞ』という気になりました」)。
嘉納はオリンピック初参加を通じて国際平和主義を確認した。同時に、欧米式のスポーツ指導法も習得した。
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
大阪・関西万博 多難なスタート会場外のリスクにも注視
4月13日、大阪・関西万博が開幕した。約14万1000人が訪れた初日は、通信障害により入場チケットであるQRコード表示に手間取り、入場のために長蛇の列が続いた。インドなど5カ国のパビリオンは工事の遅れで未完成のまま。雨にも見舞われる、多難なスタートとなった。東京オリンピックに続くこの大規模イベントは、開催期間が半年間にもおよぶ。大阪・関西万博のリスクについて、テロ対策や危機管理が専門の板橋功氏に聞いた。
2025/04/15
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/04/15
-
BCMSで社会的供給責任を果たせる体制づくり能登半島地震を機に見直し図り新規訓練を導入
日本精工(東京都品川区、市井明俊代表執行役社長・CEO)は、2024年元日に発生した能登半島地震で、直接的な被害を受けたわけではない。しかし、増加した製品ニーズに応え、社会的供給責任を果たした。また、被害がなくとも明らかになった課題を直視し、対策を進めている。
2025/04/15
-
-
生コン・アスファルト工場の早期再稼働を支援
能登半島地震では、初動や支援における道路の重要性が再認識されました。寸断箇所の啓開にあたる建設業者の尽力はもちろんですが、その後の応急復旧には補修資材が欠かせません。大手プラントメーカーの日工は2025年度、取引先の生コン・アスファルト工場が資材供給を継続するための支援強化に乗り出します。
2025/04/14
-
新任担当者でもすぐに対応できる「アクション・カード」の作り方
4月は人事異動が多く、新たにBCPや防災を担当する人が増える時期である。いざというときの初動を、新任担当者であっても、少しでも早く、そして正確に進められるようにするために、有効なツールとして注目されているのが「アクション・カード」だ。アクション・カードは、災害や緊急事態が発生した際に「誰が・何を・どの順番で行うか」を一覧化した小さなカード形式のツールで、近年では医療機関や行政、企業など幅広い組織で採用されている。
2025/04/12
-
-
-
防災教育を劇的に変える5つのポイント教え方には法則がある!
緊急時に的確な判断と行動を可能にするため、不可欠なのが教育と研修だ。リスクマネジメントやBCMに関連する基本的な知識やスキル習得のために、一般的な授業形式からグループ討議、シミュレーション訓練など多種多様な方法が導入されている。しかし、本当に効果的な「学び」はどのように組み立てるべきなのか。教育工学を専門とする東北学院大学教授の稲垣忠氏に聞いた。
2025/04/10
-
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方