福島第二原子力発電所における津波の状況。建物から排煙が確認できることから、当初はディーゼル発電機が作動した可能性が高い。 画像提供:東京電力ホールディングス株式会社

2011年3月11日の東日本大震災で、福島第一原子力発電所と同様に地震・津波の被害を受けながらも、炉心損傷に至ることなく全号機の冷温停止を達成した福島第二原子力発電所。現場指揮にあたったのが当時所長だった増田尚宏氏だ(現日本原燃株式会社 社長)。危機的な状況の中でも落ち着いて的確に現場をまとめあげたリーダーシップは海外でも評価され、ハーバード・ビジネス・スクールの授業でも取り上げられているという。その増田氏が当時を振り返った。

少し前に遡りますが、2007年に起きた中越沖地震では、地震により中央制御室の照明用のルーバーが落ちたり、置いてあった荷物が散乱したりしました。そこで福島第二では、物が動いたり、落ちたりしないようにすることは徹底していました。運転員が、揺れているときでも操作できるように手すりも付けていました。正直なところ、当時私は、原子力発電所なんて、揺れに一番強く造っているわけですから、そんなことやらなくていいと思っていたのですが、3.11を経験して、本当にやっておいてよかったと思いました。実際、所員もこれをやっていたおかげで安心して操作できたと言ってくれましたし、ちょっとしたことですが、わずかな改善でも地道にやっておくことが大事だと思いました。

結果的に第二も大きな被害を受けたわけですが、津波は日本海溝の形に合わせて福島第二に3時半頃、そして福島第一にその直後に到達しました。今写真を見ると、道路もがれきで見分けがつかないような状態だったことがわかります。

押し波の威力

当初、気象庁の発表は、津波の高さが3メートルと言っていました。

原子力発電をやっている人間からすると、津波は、引き波になると、冷やすための海水がなくなり、とてもきつい状況になるので、どちらかというと引き波が大事だというのが常識とされていました。しかし、3.11では、引き波よりも、海から押し上げてくる波の力が強く、道路などをつたって、がれきと一緒にどんどん波が押し寄せてきて、ドアを変形させ、ドアから内部にまで水が入りこみました。4~5メートルの水位なら、中に水は入らないので大丈夫だと思っていましたが、実際に来た津波は、海抜12メートルエリアに建っている3階建ての建物の1階部分まで被害がおよび、海抜にして15~17メートル程度まで津波が遡上したのです。

原子力発電所は、電気が使えなくなると、すぐにディーゼル発電機が立ち上がります。写真を見ると、最初は排煙が出ているのが確認できます。ですから、おそらく最初は発電機が立ち上がったにもかかわらず、その後、海水でやられてしまったのだと思います。

駐車場の車もすべて流されました。テレビカメラを見ていたら、消防車が移動していたので、運転して動かしたんだと思ったら、津波で流されて使い物にならなくなっていました。

夜10時、余震が収まった状況を見計らって、真っ暗な中でしたが、現場に行ってくれという指示をしたのです。実際は、こんな瓦礫だらけの状況だとは思っていなくて、真っ暗だとは思いましたが、津波が来て波に洗われた場所に皆に行ってもらうという感覚でした。現場に行った作業員からは、事故後、数カ月たっても「二度とあんな場所には行きませんよ」と言われたほどです。ただ、あの時、彼らが行ってくれたおかげで、我々は助かったのです。

前後しますが、地震の直後に停電して真っ暗になったとき、一人の所員がすかさず懐中電灯を1個持ってきて、私の席のところだけを灯してくれました。それが事故対応のスタートです。そんな状況の中で、冷やす機能がなくなったという報告を受けました。