2011/11/25
誌面情報 vol28
講演録 前内閣危機管理監 野田健氏
被災地は情報発信力を無くす
本年3月11日に発生した東日本大震災で、政府や自治体はどのような対応をしたのか。国および地方自治体の防災担当者、士業実務家らによる「震災対応セミナー」(主催:震災対応セミナー実行委員会、会長:元警察庁長官山田英雄氏)が11月2∼3日に都内で開催され、前内閣危機管理監の野田健氏はじめ、各省庁や自治体の現場トップ、実務担当者らが講演した。野田氏は、阪神淡路大震災の教訓が今日の政府の危機管理体制にいかに生かされてきたかを説明するとともに、甚大な被害をもたらした東日本大震災を機に、今、あらゆる組織の危機管理担当者が考えるべきことを提言として発表した。以下、野田氏の講演内容を抜粋して紹介する。
現在、日本の政府で行われている危機管理、特に震災対策については、1995年の阪神淡路大震災の教訓を生かして様々な制度がつくられてきたといっていい。どのような教訓があったかと言えば、私は以下の6点にまとめられると考えている。
1つ目は、初期情報の把握、あるいは連絡を取り合う意識が十分に浸透していなかったということ。
政府について言えば、当時、それぞれの役所で、現場で起きていることについて情報を集めることに相当の努力をしていたが、同時にその情報を一刻も早く官邸に送り込んで、内閣総理大臣の判断を仰ぎ、施策に反映させることまでしていたかといえば、十分ではなかった。
そもそも政府には、直接、震災に関係がある部署は総理府の防災局ぐらいしかなく、その防災局が何をしていたかといえば、危機管理というよりは、災害があった後、その災害の復旧・復興をどうするかということが主たる業務で、今、起きている災害の被害を最小にとどめる、あるいは減災させるということについては、国の直接的な役割というより、都道府県知事にお任せ、というのが実態だったように思う。
2つ目は、危機管理をするための施設がなかったことだ。当時の総理大臣官邸は古い建物で、災害対策室は、官邸の半地下にある小食堂と大食堂の間のスペースを利用して、そこに机や黒板、ホワイトボードを設置し地図を貼り出すなど、まさに災害対策本部を“立ち上げる”といった力仕事を行っていた。したがって、何が起きたのか状況把握しようと思っても、2時間ぐらいはとても動ける状況にならなかった。
このような反省から、今の官邸を建設する際、地下に危機管理センターを設けた。新たなセンターは、同時に2つの案件が起きても対応できるだけの広さと機能が備わっている。緊急の会議ができるスペースや各省からリエゾン(連絡員)が集まるスペースもある。通信・報道各社からの情報、警察や消防、自衛隊、海上保安庁などがヘリコプターから撮影した映像なども、すべてここに集まる。
さらに、地震発生直後に、どのくらいの震度、マグニチュードなら、どのくらいの範囲でどのくらいの被害が出ている可能性があるかということが即座にコンピューターにより算出され、概ねの被害規模が予測できる仕組みになっている。このことによって初動体制は随分早く整えられるようになった。
阪神淡路大震災における3つ目の教訓は、施設だけでなく、体制としても危機管理が行える状況にはなかったということだ。当時、総理の防災担当には当直もなく、夜中に災害が起きれば、翌朝までわからないという状態だった。今では、内閣危機管理監という制度ができて、さらに危機管理監を補佐する内閣官房副長官補や、危機管理審議官もいる。
危機管理センターでは、震災、テロ、列車事故、油の漏出事故、情報セキュリティなど、事案に応じて30近い関係省庁局長級の緊急参集チームが編成されている。また、各省庁から選抜された150人ほどのスタッフが、交代しながら24時間体制で仕事にあたっている。各省庁の持っている知見がいつでも入手できる仕組みだ。
仮に緊急事態が発生した場合には、緊急参集チームが30分以内に危機管理センターに参集することになっている。局長が出張などで不在の場合は、代理として審議官や代表課長など、必ずその省庁を代表して、意見がしっかりと述べられる人が来ることまでが決められている。そのため、緊急参集チームに指定されているメンバーは、官邸から概ね2キロ以内に設置されている危機管理宿舎に住んでいる。
4つ目の教訓は、信頼度の高い情報通信ネットワークが当時は無かったということ。もちろん、電話などの通信手段はあったが、アンテナが倒れてつながらないなど肝心な時に機能しなかった。そこで、別ルートの通信手段として、指定行政機関等と都道府県、指定公共機関らを結ぶ、中央防災無線網が整備された。
5つ目としては、自衛隊の災害派遣が迅速に行えなかったこと。当時の法律では、自衛隊は派遣はもちろん、偵察を行う際にも知事の応援要請がないと動けなかった。現在は知事が要請することができない場合、あるいは要請しない場合でも、市町村長が出動を要請することができるし、偵察であれば自衛隊が独自判断で行い、必要なニーズを自治体から聞いて動く「御用聞き」も可能になった。以前に比べればそれだけ早く動けるようになっている。法律的には総理大臣が自衛隊を派遣することができる。今回も10万人規模で派遣せよと、先に総理から指示が出されたが、本来なら、都道府県知事が、どこに来て、どういう仕事をしてほしい、どこに滞在するのか、ということを指定しないと、闇雲に派遣だけを要請しても、混乱する事態が生じかねないことに注意が必要だ。
6つ目の教訓は、実働機関の広域応援体制というものが十分に行えなかったこと。警察については、全国の都道府県警察から多数の機動隊等が被災地に派遣され災害救助に当たったが、資機材の不足など、必ずしも素早い対応はできなかった。そこで、阪神淡路大震災を機に、都道府県警察による広域緊急援助隊が充実強化された。
一方、消防関係では、阪神淡路大震災ではかなりの火事が発生し、各地の市町村消防が応援にかけつけたが、遠方の火を消すために消防車を連ねてホースを連結させようと思っても、それぞれのホースの口径が合わないなど、連携体制に課題が生じた。現在では、緊急消防援助隊という制度ができ、常に全国からの援助隊が連携がとれるようハード、ソフト両面からさまざまな対策が講じられている。
このほか、医療関係でも緊急医療体制、広域連携が整っていなかったとの反省から、阪神淡路大震災を機にDMAT(災害派遣医療チーム)が誕生し、医師、看護師、業務調整員から成る概ね5人1組のチームが、全国各地の指定医療機関に配置され、平素から訓練を受けている。
■東日本大震災における課題
このように政府では、阪神淡路大震災で浮き彫りとなった多くの教訓を生かし、大災害があっても素早く対応ができるように備えてきた。現実に、これまでの10年間に起きた災害については、それ相応の対応をしてきた。しかし、今回の地震は、残念ながら、規模が桁外れであった。この大災害を受け、もう一度、検討を加えて、さらに強靭な体制をいかに築き上げるかを考えていく必要がある。
私が4年半ほど危機管理監を努めた経験から、今、危機管理に関わるすべての人が共通に知っておいてほしいと思うことは以下の5点だ。
まず、2:7に着目せよということ。2:7とは、仕事をしている時間と、していない時間の比率。役所についていえば、開庁している時間は2で、閉庁している時間が7ということになる。つまり、災害は皆がそろっていない、企業なら社長も副社長もいない時間帯に起きる可能性のほうがはるかに高い。その場合に、どうすれば連絡を取り合って適切な対応ができるのか常に考えていなくてはいけない。
もう1つは、被災地は情報の発信能力を無くすということ。私自身、このことは2回ほど経験している。1回目は1980年にイタリア南部で発生した地震。日曜日の夜の8時ごろに起きた地震だが、その夜の11時ぐらいに、ミサをしていた教会が倒れて200人ぐらい亡くなったというものだった。翌日は、ナポリなどの被害状況は報じられたが、翌々日の火曜日の朝になったら、突然、1つの村が全滅して最悪5000人が犠牲になっている可能性があるということが報じられた。月曜日は霧が濃くてヘリが飛ばせなかったが、火曜日の朝、ヘリで上空から見下ろした結果、街にあるはずの建物がすべて瓦礫になっていたことがわかったのだ。実際には3000人ほどの犠牲者であったが、30時間以上もこの状況が把握できなかった。日本でも2004年の中越地震で一番ひどい揺れが震度7に達したが、地震計が振り切れたり、停電による通信端末の停止などの原因により、そのことが伝わらなかったということがあった。これが2回目の経験だ。
つまり、皆さんが、自分の企業や組織において、関係のある場所で大災害が起きたとしたら、先方から情報が来ることだけを待っていては駄目だということ。本社、本部から電話をかけ、つながらないなら、人を派遣するなりして情報を取りにいく必要がある。
3点目は、「備えあれば憂いなし」と言うが、本当の問題は、憂いがないために、備えもしないケースがあまりに多いということ。首都直下型地震を例にしても、関東大震災がマグニチュード7.9だったにもかかわらず、7.3ぐらいの地震は想定するが、7.9は想定しない、マグニチュード8なら想定外と、勝手に基準を設けて対策を講じないことがあるように見受けられる。
4点目は、「失敗は成功のもと」と言うが、大成功が大失敗のもとになる可能性もあるということ。「勝って兜の緒を締めよ」とはよく言ったもので、成功したときに、その成功した原因は何か、それは単に幸運によって成功したのか、それとも実力で成功したのかを十分に検証する必要がある。
最後は、お題目的に「危機管理」とか「防災対策」と言っているだけでは、駄目ということだ。言葉だけを繰り返しても何の意味もない。できることは、いろいろあるはずだ。現状を厳しく見直して、厳しい事態が起きても最小の被害で済むように、仮に被害を受けても最短の時間で回復できるような手立てを講じることを考え、実行しなくてはいけない。
今回の震災では、今思えば、原子力災害が同時に起きてしまったことが非常に難しい状況を招き、復旧・復興の大きな負担になっていることは確かだと思う。しかし、この状況を乗り越えなければ、また、同じような事態が起きかねない。日本人は失敗を生かすこと、あるいは災害の経験を機に復旧のための知恵を出すことが大変得意だと思う。それぞれの関係者が意見や知恵を出し合うことが何よりも大切だ。
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