三菱化学株式会社(本社、東京都港区)鹿島事業所では、東日本大震災で茨城県鹿島市と神栖市にまたがる鹿島コンビナート全体が機能不全に陥る中、備蓄による対応と、迅速な復旧により、顧客企業への影響を最小限にとどめた。

■爆発を防ぐ
鹿島コンビナートには、20社以上の化学品メーカーが工場を連ねる。三菱化学鹿島事業所は、同コンビナートで石油化学製品の基礎原料であるエチレンを生産し中核を担う。東日本大震災では、コンビナート付近一帯で震度6弱を観測し、いくつかの工場施設が倒壊したほか、コンビナート内の配管がいたる場所で変形するなど、コンビナート全体が機能不全に陥った。同社事業所は、大きな損傷こそなかったが、地震の強い衝撃により安全装置が作動したことで、石油化学プラントが自動停止した。事業所では、すぐに事業所長を本部長とした現地対策本部を立ち上げ、作業員が24時間体制で設備点検を実施した。本社で災害対策本部のリーダーを努めた同社技術部長の植田章夫氏は、「化学工場では、機械の保安が社員の安全に直結する。機械の安全確保がどれだけ早く行えるかが勝負となる」と話す。 

最初の課題となったのは、火災や爆発を防ぐために必要な窒素の確保だ。鹿島コンビナートでは、電力や工業用水が停止し、窒素供給プラントが稼働できない状況なった。鹿島事業所では、緊急の対応策として保安用に備蓄していた液体窒素を使い、二次災害を防いだ。しかし、窒素の備蓄量には限りがあるため、コンビナート全体の安全確保のためには、窒素供給プラントの早期再開が急務となった。 

幸いにも、電力会社により同日の夕方には、保安用電力の優先的な供給が再開された。また、工業用水についても、当初、供給再開に数十日かかると懸念されていたが、県の対応により3日間で復旧が実現し、震災から3日後の14日には、窒素供給プラントが再稼働した。 

植田氏は「電力会社や行政側の理解、コンビナートの連携精神に助けられた」と話す。