茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で作業員2人が死亡、地元住民ら660人以上が被ばくした臨界事故は、30日で発生から25年を迎えた。当時、村長として周辺住民の避難を指揮した村上達也さん(81)は、「国は事故が起こらない前提で原子力の利用ばかり考え、事故が起きたらどうするかには力を入れていない」と指摘する。
 公用車で隣の栃木県に出張中だった村上さんは、事故発生から約1時間半後の昼すぎ、助役からの電話で「臨界事故が起きた」と知った。当初は「全然ピンとこなかった」が、村近くまで戻ると警察官が道路を封鎖しており、役場は村民やマスコミが集まって戦場のような状態。次第に事態の深刻さを実感していった。
 通常では考えられない高い数値の放射線が測定される中、JCOから「約350メートル圏内の住民を避難させて」と要請を受けた。当時の科学技術庁とは連絡がつかず、県にはまだ対策本部が立ち上がっていなかったが、一刻を争う事態に「独断専行でいこう。自分は糾弾されても構わん」と腹をくくった。
 防災無線を使うとパニックを招くと考え、村職員が車で周辺住宅約50軒を個別に回った。結果として避難完了は夜中になった上、作業中に被ばくした職員も出たことに、「私にも責任がある」と悔やむ。
 その後、臨界事故の教訓が生かされることはなく、2011年には東京電力福島第1原発事故が発生。村上さんは現役の首長として脱原発を訴えるようになり、「脱原発をめざす首長会議」を12年に結成した。ただ、当初は現役首長が7割を占めたものの、その後は比率が逆転して元職が多数派となり、近年は活動が低調気味という。
 東海村でも日本原子力発電東海第2原発の再稼働に向けた動きが進んでいる。「25年たつとJCOと聞いて分かる人も減ってきた」という村上さん。「明治以来、欧米の科学文明に驚いて殖産興業を進めてきたが、いまでもブレーキのない社会のままだ」と話している。 
〔写真説明〕JCO臨界事故発生時の状況について話す茨城県東海村の元村長村上達也さん=27日、同村

(ニュース提供元:時事通信社)