ジェトロ調査部国際経済課 森詩織氏に聞く

ビジネスにおいて、人権尊重への取り組みが不可欠になってきた。国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」にもとづき各国でガイドラインが策定されるにとどまらず、欧州では人権配慮を企業に義務付ける法律が次々に成立・施行。米国では強制労働による物品の輸入を水際で差し止める法律が運用され、対応次第では国際的な取引から締め出されかねない。海外の動向と日本企業の対応について、日本貿易振興機構(ジェトロ)調査部国際経済課の森詩織氏に聞いた。

独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ)調査部国際経済課
森詩織氏(もり・しおり)
 
2006年ジェトロ入構、ジェトロ・広島事務所、ジェトロ・大連事務所市場開拓部長、海外調査部中国北アジア課リサーチマネージャーを経て、2021年から現職。

企業活動に人権尊重が求められる背景

――企業活動で人権尊重が重要視されています。どのような背景からですか?
2011年に国連の人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」が発端です。法的強制力はありませんが、すべての国と企業が尊重すべき国際的な枠組み。特に、企業に焦点をあてて人権尊重を促したことがポイントです。

それまで、人権尊重の主体は基本的に国でした。人権を保護する義務が国にはある、と。これに対し、国連の指導原則は企業にも人権を尊重する責任があるとうたった。そこが画期的でした。

ただ、指導原則はあくまで企業に自律的な取り組みを促すための枠組みです。努力義務だけでは責任が果たされないということで、強制力のある法律を、ヨーロッパを中心に各国がつくり始めているのがいまの状況です。

――「人権の尊重」は日本国憲法でも保証されている大原則。具体性・実効性を担保する法制度も整備されています。そこへさらにグローバルスタンダードの網をかけ、企業にも取り組みの責任を課す、と。その意味をどうとらえたらよいのでしょうか?
貿易自由化の進展とともに企業の海外進出が活発化、グローバリゼーションのもとでサプライチェーンが世界中に広がってきているのは周知のとおりです。そうしたなか、人権侵害が国を超えた問題になってきているという背景はあるでしょう。

多国籍スポーツブランドが東南アジアで児童労働や長時間労働を行っていたとして糾弾されたのが1990年代後半。しかしその後もこうした問題は収まらず、2013年にはバングラデシュで海外のアパレルブランドなどから仕事を請けていた縫製工場が倒壊し、1000人以上の犠牲を出す大惨事が起きました。

グローバルサプライチェーンにおける劣悪な労働環境が問題化(イメージ:写真AC)

ほか、スマートフォンやパソコンのバッテリーに使われるコバルトの採掘、チョコレート原料となるカカオの栽培・収穫など、劣悪な労働環境が問題化している例は世界中に数多あります。企業は「うちは発注しているだけ」では済まされない。サプライチェーン全体を通じ、責任をもって人権尊重を行いなさいという流れになってきているのです。

グローバル市場における過重強制労働

――「蟹工船」で描かれたような過重労働と搾取構造の問題が、グローバル市場には現在進行形で転がっている、と。
強制労働は、海外では「奴隷労働」といわれます。そういうと日本では昔の話のように聞こえるかもしれませんが、例えば移民労働者のパスポートを取り上げて働かせたり、入国を仲介した肩代わりとして有無をいわせず働かせたりといった行為も該当します。

ゆえに、国連の指導原則と整合するかたちで、OECD(経済協力開発機構)の多国籍企業行動指針やILO(国際労働機関)の多国籍企業宣言が出されている。それらが投げかけている問題意識は同じです。そして日本企業においても、海外拠点でアンケートを取ると、極めて敏感な反応が返ってきます。

例えば、地場工場に児童労働の疑いがある、下請労働者(外国人労働者)の待遇等が問題である、と。そんなコメントが多く寄せられます。ただ、海外拠点ではそうした状況ですが、拠点がなくて取引しているケースでは様子がわからないでしょう。強制労働に依存した製品が日本に入ってくるリスクは軽視できません。

――そうした状況を背景に、企業は社会的責任として人権尊重に注意を払いなさい、それもサプライチェーン全体にわたって注意を払いなさい、と。
社会的責任として人権尊重に注意を払う、そのことを掛け声だけでなく仕組みとして実践し、具体的な行動と結果を明文化して表に出すのが人権デューデリジェンス(DD)と呼ばれる活動です。

●デューデリジェンスのプロセスとその手順

画像を拡大  データ提供:ジェトロ森詩織氏

ただ、サプライチェーン全体にわたって人権侵害が行われているかを確認するのは難しい。NGOから指摘され、初めて対応の必要性に気づいたという話も聞きます。取引先の取引先、そのまた取引先で工場の環境が劣悪だった、と。そしてその環境も、何をもって劣悪というかは各国の基準によって違うことがあります。

つまり、各国の基準を満たせば十分ではなく、人権DDにおいては国際的なスタンダードを満たしているかが問われる。例えば空調が効いていないのも、国際的な基準に照らせば劣悪な環境です。そうしたなか、RBAという非営利の企業同盟が提供している労働環境の自己評価チェックリストを活用し、それを取引先に記入・提出してもらうことで人権リスクの把握に努めている企業もあります。

企業が自国の労働関連法を満たすのは、必要最低限の取り組み。そのうえで、その法律の適用が及ばない海外のサプライチェーンにおいても一定の基準を満たさなければならない。国内ではあたり前の労働習慣が、世界ではあたり前でないこともあります。人権DDにおいては、そこを国際スタンダードに照らしてあらためて確認する必要が出てきます。