2024/03/28
令和6年能登半島地震
木造住宅の耐震化 実務者の視点
一級建築士事務所・技術士事務所SERB代表
樫原健一氏

かたぎはら・けんいち
1973年、神戸大学大学院工学研究科修士課程建築学専攻修了後、鴻池組に入社。2006年に退職し同本社技術顧問に就任するとともに、一級建築士事務所・技術士事務所SERBを設立。一級建築士、建築構造士、技術士。著書に「木造住宅の耐震設計-リカレントな建築をめざして」(共著、技報堂出版)「震災復考」(新建新聞社)など。
能登半島地震の死者の大半が、倒壊した建物の下敷きになったことで命を落とした。珠洲市や輪島市の耐震化率は50%程度と、全国平均の87%に比べ極端に低く、過疎高齢化地域の耐震化の困難さを物語る。そしてそれは、能登地域だけの問題ではない。家屋の倒壊からいかに命を守るのか。一級建築士事務所・技術士事務所SERB(サーブ)代表で、伝統的建築物の構造計算適合性判定に長年携わってきた樫原健一氏に、木造の耐震化をめぐる課題を聞いた。
耐震化率は形骸化している
――能登半島地震では、家の倒壊で多くの死者が出ました。実務者の立場で、今回の被害をどう見ますか?
被災地を直接見ていないので、被害様相は語れません。ただ、専門家が「新耐震基準以前の建物が倒れた」「新耐震基準以上に改修せよ」といっているのを聞くと、違和感を覚えます。珠洲市や輪島市の耐震化率は50%程度ということですが、過疎高齢化地域で耐震改修が進まないのはわかっていることです。
わかっていながら「新耐震基準以前の建物が倒れた」「新耐震基準以上に改修せよ」というのは、できないなら倒壊しても仕方ないという突き放しに聞こえます。専門家がいうべき言葉ではない。問題は、そうした社会状況をわかったうえで、ではどうしたら家の倒壊から人の命を守れるのかでしょう。

そもそもでいえば、耐震化率は100%であるべきものです。違反建築でないとはいえ、現行の耐震基準を満たさない家が半分もあるのは、倒壊のリスクを考えたら本来はおかしい。しかし、その状況が常態化しているということは、耐震化率が単なる表向きの数字にしか思われていないことの証左ではないでしょうか。
耐震化率を100%にせよといっているのではありません。耐震化率は現行法の構造規定に合致していることを担保しているだけであって、その規定はあくまで最低限の基準です。常用設計に用いるにはよいでしょうが、過疎高齢化地域で古くからある家をどう安全にしていくかという話とは文脈が違う。数字合わせをしても意味はありません。
当然ですが、建築基準法の目的は基準それ自体を満たすことではなく、人命を守ること、つまり倒壊による死者をなくすことです。新耐震基準にすれば倒壊を防げるかのようないい方は、便宜的ないい換えだと思います。
人の命を奪う壊れ方をさせない
――すると、求めるべき住宅の耐震安全性とは何なのでしょうか?
究極的には、今回の能登半島地震のような非常に強い揺れに見舞われても、人の命を奪うような壊れ方をしない。つまり、完全につぶれてしまうような壊れ方をしないことだと思います。
どこか一部が壊れても、傾いても、踏みとどまってさえいれば何とかなります。逃げることができ、もしかしたらあとで修復もできる。とにかく、ぺちゃんこになる壊れ方をさせない。しかし、最悪の揺れにおいて建物がどういう壊れ方をするかは、必ずしも研究が進んでいるわけではありません。
木造住宅の耐震設計において、構造計算の結果を検証するクライテリア(判定基準)は、最大で層間変形角15分の1程度です。ただ、実際の被害では5分の1くらいまで傾いても残っている建物がある。それが許容されれば、いきなり耐震診断評点1.0を求めなくても補強方法はあります。しかし、最悪の揺れにおけるクライテリアは設定自体ができません。

――なぜ設定できないのでしょうか?
最大の理由は、震度階級における震度7の揺れは青天井だからです。法律で定める「極めてまれな地震」は震度6強で、クライテリアも震度6強を見込んで設定されています。それを超える震度7は、青天井ゆえに、揺れを定義できない。当然、最悪の揺れを満足させるクライテリアも存在しません。
つまり、ここまでやったら安全だといい切ることは不可能です。だから、新耐震基準で線引きしたほうが楽だというのはわかります。しかしその結果、実際の被害で踏みとどまった古い建物があっても「たまたま運がよかった」で終わってしまう。それは、自然現象と虚心に向き合う姿勢とはいえません。
インタビューの他の記事
おすすめ記事
-
-
現場対応を起点に従業員の自主性促すBCP
神戸から京都まで、2府1県で主要都市を結ぶ路線バスを運行する阪急バス。阪神・淡路大震災では、兵庫県芦屋市にある芦屋浜営業所で液状化が発生し、建物や車両も被害を受けた。路面状況が悪化している中、迂回しながら神戸市と西宮市を結ぶ路線を6日後の23日から再開。鉄道網が寸断し、地上輸送を担える交通機関はバスだけだった。それから30年を経て、運転手が自立した対応ができるように努めている。
2025/02/20
-
能登半島地震の対応を振り返る~機能したことは何か、課題はどこにあったのか?~
地震で崩落した山の斜面(2024年1月 穴水町)能登半島地震の発生から1年、被災した自治体では、一連の災害対応の検証作業が始まっている。今回、石川県で災害対応の中核を担った飯田重則危機管理監に、改めて発災当初の判断や組織運営の実態を振り返ってもらった。
2025/02/20
-
-
2度の大震災を乗り越えて生まれた防災文化
「ダンロップ」ブランドでタイヤ製造を手がける住友ゴム工業の本社と神戸工場は、兵庫県南部地震で経験のない揺れに襲われた。勤務中だった150人の従業員は全員無事に避難できたが、神戸工場が閉鎖に追い込まれる壊滅的な被害を受けた。30年の節目にあたる今年1月23日、同社は5年ぶりに阪神・淡路大震災の関連社内イベントを開催。次世代に経験と教訓を伝えた。
2025/02/19
-
阪神・淡路大震災30年「いま」に寄り添う <西宮市>
西宮震災記念碑公園では、犠牲者追悼之碑を前に手を合わせる人たちが続いていた。ときおり吹き付ける風と小雨の合間に青空が顔をのぞかせる寒空であっても、名前の刻まれた銘板を訪ねる人は、途切れることはなかった。
2025/02/19
-
阪神・淡路大震災30年語り継ぐ あの日
阪神・淡路大震災で、神戸市に次ぐ甚大な被害が発生した西宮市。1146人が亡くなり、6386人が負傷。6万棟以上の家屋が倒壊した。現在、兵庫県消防設備保守協会で事務局次長を務める長畑武司氏は、西宮市消防局に務め北夙川消防分署で小隊長として消火活動や救助活動に奔走したひとり。当時の経験と自衛消防組織に求めるものを聞いた。
2025/02/19
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/02/18
-
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方