■迷い多き雨の朝だった・・・
登山の話の中で「迷い」という言葉が出てくると、たいていは「道迷い」のことと相場が決まっているものです。しかし、登山における「迷い」は必ずしも道迷いのことばかりとは限りません。その日の朝ハルトが体験したのも、そんな別の「迷い」の一つでした。
ある山小屋に泊まった翌朝、ハルトは屋根をたたきつける雨音で目がさめました。こんな音を聞いていると、なんともやりきれない、いやな気分になってしまうものです。
「せっかくすばらしいご来光を楽しみにしていたのに…」。今日は初めての中央アルプス縦走の日です。これから岩場の多い岩稜を縫って次の山小屋までの6時間余りを歩き通さなくてはなりません。岩場は鎖やはしごもあって雨で滑りやすいため、入念な注意が必要です。
「思い切って縦走は取りやめて、この小屋にもう一晩泊まり、明日の朝下山してしまおうか」と思う一方で、「せっかく時間とお金をかけて山に来たのに、同じ小屋に2泊しただけで下山してしまうのか? 貴重な休暇をこのように使ってもったいなくはないか?」とはっぱをかけるもう一人の自分。
今回もハルトは単独行です。行くもとどまるも自分の判断一つですが、拙速で決めてしまって後で後悔したくはありません。時間的にまだ少し余裕はありそうなので、彼は他の登山者たちの様子を見てから進退を決めることにしました。
■人間ウォッチングから見えてきたもの
悪天候に出鼻をくじかれた登山者たちの反応はさまざまでした。
ある高齢者のパーティ一は出発の支度をしながらこんな会話をしています。「この天候じゃあ、寒いし濡れるし、これで滑って転んだらかなわんなあ」。「ほんと、ほんと。おまけにどっちを向いてもガスの中だ。景色も楽しめないしつまらん」。彼らは早々と下山を決意したようです。
一方、廊下の奥の部屋からは次のような話し声も聞こえてきます。「これしきの雨なんてへっちゃらさ。これで諦めたら後で後悔するぞ」。「山の天気は変わりやすいからね。歩いているうちに雨は止むだろう。そう祈って出発だ」。彼らは予定どおり出発する積極派のようです。
また、レインウェアを着込んでぞろぞろと出ていく他の登山者たちの背中を見送りつつ、「それならボクらも…」と右へ倣えする2人のパーティもいます。
ふと、ハルトと同じ部屋に泊まった顔見知りの登山者が目の前を横切ったので、あなたはどうするのですかと尋ねてみました。彼はもっとも現実的なことを口にしました。
「ひどい雨ですが、このまま留まると仕事にも差し支えるから今日中に下山しなくちゃなりません。ボクは自分の車で来たのですが、下山が遅れると中央自動車道の渋滞に巻き込まれるのも心配です。あまり帰りが遅くなると留守番をしているカミさんや子供たちから小言を言われるのは必至だしね。はははは」
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