2015/11/25
誌面情報 vol52
~記録的大豪雨、避難指示の遅れ、自治体より国の判断優先を~
作家・ジャーナリスト 高崎哲郎
2015年10月20日の「朝日新聞」朝刊に掲載された2つの記事から始めたい。
1つの見出しは、「皇后さま今日81歳」である。記事の中で皇后さまは水害で被災した茨城県常総市を見舞ったことについて「『水流により大きく土地をえぐられた川沿いの地区の状況』に驚いたといい、『道々目にした土砂で埋まった田畑、とりわけ実りの後に水漬いた稲穂は傷まく農家の人々の落胆はいかばかりかと察します』と思いやった」。
もう1つの見出しは「鬼怒川堤防かさ上げ、最大1.4m、整備局方針」である。記事の中で「決壊は川の水が堤防からあふれる『越水』と、その水が陸側の堤防ののり面下部を削り続けたことが主な原因で、それに水が堤防にしみ込んで崩す『浸透』もあった結果とみられている。このため、堤防の高さを約4mから5.4mにし、幅も川側に1.5mほど広げる」。
大豪雨と堤防決壊
今年9月9日、愛知県知多半島に上陸した台風18号は、日本海に進んで温帯低気圧となった。だが、これに向けて南から湿った空気が秋雨前線を刺激し、西日本から北日本にかけて広い範囲で大雨が続き、日本の東に発達した台風17号の影響で、湿った空気が東に抜けられなくなった。積乱雲が帯状に連なる線状降水帯が栃木県と茨城県の上空に停滞し、長い時間集中豪雨をもたらした。記録的豪雨が大地を叩き続け河川の氾濫が心配された。気象庁は「特別警報」を発し、最大限の警戒を呼びかけた。大洪水は関東・東北の両地方に集中した(「関東・東北豪雨」と名付けられた)。
9月10日12時50分、ついに悪夢が現実のものになった。常総市三坂町地先の鬼怒川左岸(東側)堤防が決壊した。鬼怒川の利根川合流点から21km上流の地点である。堤防を切った濁流は、東に流れ下って低地を求めながら常総市を中心に1万戸以上が床上・床下浸水し、田畑は泥の海に没した。多数の住民が孤立し救いを求めた。
これより先、決壊現場から約4km半上流の若宮戸地先では激流が溢水し地域に流れ込んだ。この地は大型の太陽光パネルを設置するため川に沿って発達した小高い「自然堤防」を掘り崩してしまっていた。「自然堤防」はその昔から洪水防御に役立ってきた。地元住民は洪水に対して無防備になるとして従来の自然堤防に戻すよう強く求めてきた。が、要求が実現しない間に心配が現実のものとなった(溢水は洪水の無堤地での越流。越水は洪水の堤防越流)。
一級河川鬼怒川(176.7km、利根川水系支川第1位の長さ)の堤防決壊は1949年8月に栃木県内で起きて以来66年ぶりである。関東地方において国が管理する一級河川の堤防決壊は1986年8月の小貝川(111.8km、利根川水系支川第2位の長さ)以来のことだ。小貝川は1981年にも決壊している。首都圏を抱える関東地方の大水害は国内に甚大な被害をもたらす。国土交通省は「河川ごとに設定した目標規模の水害」に対して河川堤防の再構築や管理・監視にあたってきた。今回の大豪雨のため、全国で19河川の堤防決壊、55河川の河川氾濫、145カ所の土砂災害などの被害が発生した。近年にない大水害である。
東日本大震災後、地震や津波は最大規模を想定した対策が進んだが、風水害については進んでいるとは言えない。全国河川の堤防の未整備状態を見ても分かる。地球温暖化が進めば、線状降水帯が頻発したり、台風の勢いが増したりすると考えられる。「スーパー台風」と呼ばれる風速60m超の台風が発生、強い勢いで日本に接近・上陸する恐れも指摘されているのである。
決壊のメカニズム、避難指示の遅れ
堤防からの越流は9月10日午前11時46分に確認された。越流の水深は20㎝に達した。堤防を越えた激流は川裏(陸地側)ののり面をすさまじい勢いで洗掘し20mにわたって堤防が崩れ落ち、午後1時36分には80mに広がる。翌日朝には決壊口は200mにまで広がった。濁流が大地に刻み込んだ落堀(おっぽり:洪水流が削り取った穴)が堤防下に多数出現し激流の凄まじさを見せつけた。破堤当時、利根川合流部から流れがさかのぼるバックウォーター(逆流)による洗掘が原因ではないかと指摘する声もあった。
だが、①今回の洪水では鬼怒川上流での豪雨に伴う流量増-水位上昇が支配的である、
②鬼怒川下流部の河床勾配は1/1500~1/2500程度なので決壊地点では10m近く利根川合流点より河床高が高い、ことから、バックウォーターは決壊地点には影響していないとみられる。
決壊は正午をやや過ぎた日中であり、テレビのヘリコプターによる現場中継が続いた。陸上自衛隊などの大型ヘリコプターが懸命に救出作戦を展開した。夕暮れが迫る中、自宅などに取り残された被災者が次々に自衛隊員によって救出されていく。なぜ取り残された市民がこんなに多かったのか。気象庁からは「記録的短時間大雨情報」が出され、常総市では非常配備体制に入っていたはずである。
常総市では堤防が決壊したすぐ東側の3地区(豊田地区、石下地区、三妻地区)で、避難指示が出るのが大幅に遅れ住民が取り残された。9日夜の段階から、国交省関東地方整備局や同下館河川事務所は電話のホットラインを通じて市長らに対し「氾濫危険情報」「浸水想定区域図」を提供し避難指示をするように要請した。また半日前から地元住民からも水位急上昇を伝える情報が市当局に次々と寄せられた。
だが常総市が避難指示を出したのは決壊後であった。さらなる問題は常総市が市民に避難勧告や避難指示を出したことを伝える「緊急速報メール」を送っていなかったことだ。地元水防団の積極的な動きも見られなかった。水防訓練の成果を示せなかったと言える。
犠牲者は2人に留まった。が、なお数百人が避難生活を余儀なくされている。常総市は鬼怒川と小貝川という一級河川が東西に流れる地域である。堤防決壊に対する警戒は人一倍あってしかるべきだろう。市民の生命財産を守る立場の市長をはじめ公務にある者の資質を問わざるを得ない。一方で疑問が残る。流域住民は、①洪水ハザードマップを見たことがあるのだろうか、②洪水になった場合、深さ何mの浸水になるのか知っているのだろうか、③濁流の中に孤立した場合の外部への通信手段は確保しているのだろうか、④近所にお年寄りだけの家庭があることを把握しているのだろうか…。
なぜ、避難しないのか
全国の自治体では、直面する自然災害に対応して、緊急性や避難の強制力に応じて「避難準備」「避難勧告」「避難指示」を発令する。拘束力はないが、地域住民の安全のため市区町村長の判断として出されることになっている。「避難勧告」は安全のため早めの避難を促す時に出される。「避難指示」は洪水など著しい危険が切迫している時に出される。「指示」とは避難命令に当たる。災害対策基本法では、市区町村長に代わって警察官や海上保安官も避難指示を出すことができるとしている。「避難勧告」や「避難指示」が問題になる事例が全国で増えている。2つの発令の違いが住民には分かりにくい上に、発令時間が早すぎたり遅れたりして被害を大きくするケースも目立つ。2013年には、気象庁はそれまでの大雨警報、地震警報、津波警報、高潮警報に加えて、警報の発表基準をはるかに超える豪雨や大津波が予想され、重大な災害となる危険性が著しく高まっている場合を対象に、新たに「特別警報」を定め、最大限の警戒を呼びかけることにした。今回は「特別警報」であった。
国土交通省の調査によれば2011年と12年の2年間で、水害で実際に避難した住民は、「避難勧告」「避難指示」を呼びかけた人のうち、わずかに3.9%でしかなかったという。国民の間で、洪水の危機意識が広く共有されていないことを示している。身動きの容易でないお年寄りの家庭が多く、また建物が丈夫になり窓枠やドアの気密性が高くなったことなどにより、防災行政無線が聞き取れず、情報が十分に伝わらない場合もある。それにしても3.9%はあまりにも低く愕然とする。
国土交通省は、国が管理する109水系周辺の730市区町村長に対し、避難情報を出すタイミングなどを学ぶ研修会を開くことにした。災害時に避難情報を出すタイミングが遅れる例が目立つことから、同省は研修会で反乱危険水位を目安に避難勧告を出す仕組みや、堤防決壊の恐れがある地点などを改めて各首長に認識してもらう。研修は河川事務所ごとに10月から始められ、年内に終わる。
また同省は住民の避難を助けるため、最大規模の降雨を想定し「家屋倒壊危険区域」を指定する。堤防の決壊が予想される地点で、あふれる水の量や流れの速さなどのシミュレーションを行い、その範囲を決める。まずは荒川など約70水系で指定を進める方針だ。災害をなくすことはできない。「減災」に向け、まずは身の周りのリスクについて知り、迫りくる危機に備える必要がある。
国の指示優先、伝達ゲームは止めよ
水害では被災前に避難を促す。だからこそ、いつどのような情報が伝えられるかが大問題になる。市区長村長が「避難勧告」や「避難指示」を出す場合、最も頼りにしている情報が洪水注意報や洪水警報である。これらには、国や都道府県が管理する河川のうち、流域面積が大きく、洪水により大きな被害を生じるものを指定して、国土交通省または都道府県と気象庁が共同で行う指定河川洪水予報と気象庁が単独で不特定の河川に対して行う洪水注意報や洪水警報がある。
国が国民の生命や財産を守る覚悟をして「避難勧告」と「避難指示」も国から発令されることが必要だ。豪雨や水害に関する情報は内閣府、国土交通省、気象庁、国土地理院などが一番早く正確な情報を持っており、危機が迫った時に即時に国民に対応を求めることができる。情報を都道府県に渡し、さらに市区町村長に伝える「伝達ゲーム」をしている余裕はない。「伝達ゲーム」が情報をゆがめて行ってしまうことは誰もが知っている。一番正確な情報を早く的確に国民に知らせることが情報を持つ者の責任である。災害基本法は1959年の伊勢湾台風で5000人を超える犠牲者を出したことを受けて1961年に制定された。後に東日本大震災の教訓を踏まえて改正された。この中で、国民の円滑で安全な避難を確保するため、地方自治体が的確な避難指示などを発令するために、市区町村長から助言を求められた場合に、国や都道府県にはこれに応える応答義務が課せられた。国や都道府県と地方自治体の「伝達ゲーム」を早く解消しなければならない。災害は明日にも起こり得るのである。
参考文献:国土交通省関連資料、『首都水没』(土屋信行)、朝日新聞・茨城新聞などの関連記事
高崎哲郎
(たかさき・てつろう)
1948年、栃木県生まれ、東京教育大学(現筑波大学)卒、東京大学修士課程修了、NHKの政治部記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)。この間、自然災害(特に水害)のノンフィクションや土木史論さらには人物評伝などを刊行し、著作数は約30冊に上る。うち3冊が英訳された。東工大、東北大、長岡科技大、法政大などで非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技術者像(主に技術官僚)を講義する。招かれて、つくばの(独)土木研究所や同水資源機構の客員首席研究員となり自然災害や災害に立ち向かった土木技術者の論文を書き、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
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