2015/05/25
誌面情報 vol49
事例から読み解く危機管理の本質
~危機対応の良否は財務インパクトに反映される~
講師:眞崎リスクマネジメント研究所 代表 眞崎達二朗氏
チッソの汚染問題、森永乳業の砒素ミルク事件、雪印の2回にわたる食品事故、福知山線の脱線事故、JR東京電力の原子力対応…過去の企業の危機事案は経営にどのような影響を与えたのか。また、危機の本質はどこにあったのか。金融業界での長い経験を生かし企業のリスクマネジメントを研究してきた眞崎達二朗氏が解説した。
チッソの汚染問題、森永乳業の砒素ミルク事件、雪印の2回にわたる食品事故、福知山線の脱線事故、JR東京電力の原子力対応…過去の企業の危機事案は経営にどのような影響を与えたのか。また、危機の本質はどこにあったのか。金融業界での長い経験を生かし企業のリスクマネジメントを研究してきた眞崎達二朗氏が解説した。
私は今年で82歳になりますが、これまで数多くの企業の危機というものを見てきました。戦後間もない時代から現在に至るまで、企業の危機対応を振り返り、危機管理の本質について私見を述べさせていただきたいと思います。
チッソの水銀汚染事件
チッソ株式会社の水銀汚染は、チッソ工場があった熊本県水俣市で、有明海の魚を食べた住民に水銀中毒患者が続出した事件です。1973年にチッソの汚染水に原因があることが決定し、補償金を払うことになりました。74年3月期には売上高264億3600万円、純利益6億8100万円に対し、賠償費は66億円。以後も多額の補償費を計上して78年3月期には繰越欠損金は364億円に達し、自己資本もなくなり、上場廃止に追い込まれました。
2005年のバランスシートを見ると、売上高1147億円に対し長期借入金が1420億円と売上高を上回っています。既に死に体のはずなのですが、なぜ生き延びたかというと、熊本県が県債を発行して賠償の資金を調達してチッソに貸し付けていました。チッソがつぶれると賠償が払えなくなり、県債もデフォルトになってしまうので、生かしておかなければならなかったというわけです。
その後は体質改善がはかられ、現在は本体の事業と賠償の会社とに分けてやっています。世の中、おカネが全てではありませんが、おカネを補てんすることで会社が生き延びるということは確かにあるということです。
雪印乳業2000年の中毒事故
2000年6月から7月にかけ、雪印乳業株式会社(現:雪印メグミルク)の低脂肪乳による集団食中毒事件が発生しました。これは、事故が企業の損益・キャッシュフローに与えた影響を明確に分析できる数少ない事例です。
同社では、そもそも、手持ちの現預金が117億円と、1カ月の売り上げの0.3カ月分しか持っておらず、事故に対するキャッシュフロー面の対応力に欠けていました。さらに、同社は当時スーパー、コンビニの売り上げが7割くらいあったので、クレームが殺到して直後の3カ月の売り上げがそれ以前の3分の1にまで減ってしまいました。資金不足は3カ月で677億円、9カ月で955億円に達し、あっという間に窮地に陥ってしまいました。
ところが、事故の3週間後にメインバンクの農林中央金庫が「お金を貸します」と発表、窮地を脱します。同社は北海道の酪農組合を中心に起こった会社で、農林中金は同社と親しく役員も送っていました。雪印乳業がつぶれてしまうと北海道の酪農家に甚大な打撃を与えるということで、貸すことにしたのです。事故の際に「私も寝ていない」と言った社長は退任したものの、事故の全貌も明らかになっていない、これからどうなるかもわからない、そんな時期におけるリスクの大きな決断でした。
何とか危機は乗り切ったものの、その後に子会社が狂牛病の関連で国内産牛肉の廃棄処理に輸入牛肉を混入したことが発覚。子会社を整理したために、また198億円もの損失を出して債務超過になってしまいました。しかしここでも、会社をつぶすと北海道酪農に大打撃を与えるということで、農林中金は300億円の債務免除、他の取引銀行は債務の株式化の200億円で債務超過を解消したのです。
雪印乳業1960年の中毒事故
実は雪印乳業は、その43年前にも東京都の小学校で給食の脱脂粉乳で食中毒事件を起こしています。機械の故障と停電で溶血性ブドウ球菌が繁殖したためです。2000年の事故も停電によるもので、同社は同じ事故を2度も繰り返していることになります。被害者は1600人を越えました。しかし、事故後の決算では売り上げは18%も伸び、事故による影響は全くなかったのです。どうしてでしょうか。
まず、43年前は製造物責任の思想が確立しておらず、社会の消費者の反応も今ほど企業に対してシビアではありませんでした。当時、牛乳は牛乳屋さんが各戸に1本ずつ配っていた時代で、販売チャネルが小口分散化されていました。
全国展開のスーパーもコンビニもなかったので、今のように、店頭から撤去されるようなこともありませんでした。会社も事故に対して社長以下、誠心誠意対応しています。
マスメディアの影響も今ほどではありませんでした。1960年当時、NHKのテレビ受信契約数は5万3000件でしたが、
2000年3月は3688万件。2000年の時はテレビ報道の影響が非常に大きかったのです。今はテレビよりもネットの影響が大きい時代ですから、今後こういう事故を起こせばもっと致命的な打撃を受けるのではないでしょうか。企業の危機管理を考える上で、社会環境の変化というものが、いかに重要かを物語っていると思います。
森永乳業の砒素ミルク事件
雪印の中毒事件の2カ月後に起こったのが森永乳業株式会社の砒素ミルク事件です。1960年、ドライミルクに砒素が混入し、それを飲んだ乳幼児1万2000人が中毒にかかり、131人が死亡するという悲惨な事故でした。
いま、赤ちゃんが131人死んだら、森永乳業は存立していないと思いますが、当時は世間が寛容で、テレビも発達していなかったので致命的な影響は受けずにすみました。当時の補償金は、死亡児は1人25万円、患者は1万円。赤ちゃんの命が25万円だったのです。製造物責任法成立のきっかけになった大事件でしたが、これだけの事故を起こしながら、致命的な業績の悪化になっていません。昔はいかにおだやかな時代であったかということです。
ブリヂストンとマツダの工場火災
2003年9月、株式会社ブリヂストンの栃木工場がほぼ全焼しました。同社は工場火災の損失は370億円と発表しましたが、内訳を見ると、火災による直接的な被害額は30億円なのに、復旧のための新たな設備投資100億円、生産力低下に伴う逸失利益220億円となっていました。直接の損害の他に、上がるはずだった利益が上がらなかった額が大きかったところに注目していただきたいと思います。この事故では、アメリカに子会社を持っていたにも関わらず、2003年12月期の有価証券報告書を見ると、国内工場の火災に対する保険の付保は十分ではなく、事業中断による損失は保険では補てんされていなかったとみられます。
これに対し、2004年、同じ自動車メーカーのマツダ株式会社の工場の出火事故では、火災による損害は直接被害と3万台の自動車生産をやめる影響とで100億円になると説明。売上高に影響はあるものの、損益については「火災保険の補てんもあり、業績予想からの変更はありません」としていました。火災の被害に加え、事業中断の損害についても保険でカバーされたことが分かります。何度も言いますが、おカネがすべてとは言わないけれど、おカネも大事だよ、と思わせられる事例です。
東京電力のケース
1959年9月に愛知県地方を襲った伊勢湾台風は、犠牲者5098人を出しました。その後、1995年1月の阪神・淡路大震災(犠牲者6437人)に至るまでの40年間は自然災害による死者は年間1000人を下回っていました。しかし、2011年には東日本大震災が起こり、いまは首都圏直下型地震や南海トラフ地震なども懸念されています。地震をはじめとした自然災害対策はおろそかにできない時代に入っているのだなと痛感させられます。ここでは、東京電力株式会社のケースを取り上げます。
2007年7月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が出火。07年度、08年度は災害特別損失を計上しました。しかし、09年には黒字に転換し、10年度は営業利益・経常利益ともにさらに改善しました。ところが、その期の終わりの2011年3月11日に東日本大震災が発生。福島第一原子力発電所の事故で1兆2473億円の大幅な損失を計上したのです。
さらに翌年は、災害特別損失や原子力災害賠償費の計上などにより7816億円の損失を計上し、2013年度に至ってようやく黒字決算となりました。実はこの黒字決算にはいろいろなからくりがあるのです。
事故後の損害賠償費用は原子力賠償支援機構の資金交付を受けていますが、それは利益に計上してもよいことになっています。つまり、損害賠償の費用が損になっていません。資金援助を受けることについての負担金も未計上になっている。廃炉や燃料取り出しにも莫大な費用がかかると言われていますが、有価証券報告書を見ると「今後変動する可能性があるが、現時点の合理的見積もり可能な範囲における概算額を計上している」など、将来どうなるかということには触れられていません。
キャッシュフローも、当初1兆円以上足りず、11年度、12年度は一応黒字になっているものの、損益の見通しが不透明なので将来がどうなるか見通しもつけられません。そういう項目がいくつかあって、いま黒字ではあるけれど、東京電力が将来どうなるかまったく見当がつきません。事故を起こして赤字になるところが、そうなっていないという不思議なことが起こっているわけです。
4つの報告書が示すもの
東京電力の事故に関しては、4つの報告書が出されています。まず、2012年3月の「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」の報告書。次いで同年6月の東京電力の報告書には、「不可抗力で予測が不可能だった」と言い訳ばかりが書かれています。3番目(12年7月)の国会の報告書では、「この事故が人災であることは明らかで、東京電力には人の命と社会を守る責任感に欠けていた」と断定。この報告書の最大のポイントとなっています。
さらに同7月、「失敗学のすすめ」の畑村洋太郎氏やジャーナリストの柳田邦夫氏らが中心になってまとめた「政府の東京電力福島原子力発電所における事故と遊佐検証委員会最終報告書」では、東京電力が「想定外だった」と言っていることに対し、「しっかりと対応するべきだった」と力説。これは、私たちリスクマネジメントにたずさわるものに対する痛烈な警告ではないかと思っています。
JR西日本福知山線の脱線事故
順番は逆になりますが、最後に福知山線の事故を振り返りたいと思います。2005年4月25日、JR西日本の福知山線(JR宝塚線)の塚口駅~尼崎間で発生した列車脱線事故で、運転手と乗客107人が死亡しました。
私は、事故の本質的な要因として、同社の経営判断に問題があったのではないかと見ています。JR西日本の幹線、京阪神間は私鉄が2社並行しており、JR西日本は運賃収入の増加に苦慮していました。福知山線は、以前は単線のローカル線でしたが、宝塚の奥の三田に宅地開発と事務センターを誘致し、往復の乗客の増大をはかるために複線化。収入増が見込める数少ない路線でした。しかし、阪急宝塚線との競合でダイヤに無理があり、列車安全装置の設置も完璧ではなかったといわれています。収益増加が見込まれる路線であれば、安全に最も力を入れるべきだったのに、それをしなかった。経営陣は裁判では有罪にはなりませんでしたが、事故の根源はJR西日本の経営判断にあった。明らかに人災であったと言えるのではないでしょうか。
日本の危機管理の課題
リーダーシップとは何か
リーダーシップをなくして、危機管理を考えることはできません。事業継続マネジメントの国際規格であるISO22301(JIS22301)には、「リーダーシップ及びコミットメント」という項目で、「トップマネジメントにある者、及びその他の関連する管理層の役割を担う者は、BCMSに関してリーダーシップを実証しなければならない」と書かれています。米英豪型のマネジメントスタイルを根幹としており、経営者がリーダーシップをとるので当然の内容なのですが、ボトムアップ型の経営が多い日本では、これを実行するのは容易ではありません。
某大手企業の危機管理担当者は「危機管理体制には、各担当部門長が権限を持つ分権的な体制と、社長に権限を一元化する中央集権的な体制の2つがある」と言っていましたがその通りだと思います。工場の火事などは前者、中毒事件や東電の事故などは後者のケースです。
リーダーシップとは、日本では、社長がすべて指示・命令することと誤解される傾向がありますが、私は、社長の役割は、経営判断を行うことではないかと考えています。日本的経営の解決策としては、リスクマネジメント担当者が経営判断のサポートをすることが大事ではないかと思います。しかし、担当者が優秀でも、社長が認めてくれなければどうにもなりません。今、日本の企業のリスクマネージャーや危機管理担当者に、トップをきちんと補佐できるような風土があるでしょうか。
キャッシュフローの視点を持つ大切さ
2005年から2006年にかけ、中小企業庁が「中小企業BCP策定運用指針」というガイドラインを作るときに、私は有識者会議の一員として携りました。中小企業庁はBCPにおけるキャッシュフロー対策の重要性を認識しておられましたが、他の省の方から「アメリカのBCPのガイドラインにはキャッシュフロー対策のことは一言も書かれてない。中小企業BCPにそんなことを入れるのはおかしいんじゃないか」と言われたことがありました。おそらく、英米豪では、リスクマネジメントにおいては、リスクファイナンス=キャッシュフロー対策は当然の前提になっているから、書かれていないのだと私は思うのです。
実際、イギリスの「A Risk Management Standard」というガイドラインには、「リスク対応の中には、リスクファイナンシング(例:保険)も含まれる」と書いてあります。リスクマネジメントにおいて、キャッシュフロー対策は当然の前提とされていますが、どうも日本ではそうなっていないようです。
危機管理やリスクマネジメントの担当者は、表面的なリスクだけではなく、内在するリスクまでを見極め、対策を考える必要があります。そのためには、キャッシュフローの状況を踏まえ、経営的な視点をしっかり勉強しなければならないのですが、日本では会社がそういう教育をしないまま担当者に任せてしまっているように思います。
※関連記事 眞崎達二郎氏 シリーズ
「企業を揺るがした危機の真相」
「リスクマネジメントの本質」
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