「仲間がいたから悲しみを乗り越えられた」

東日本大震災の被災地では今、被災住民のニーズに応えるため、さまざまなコミュニティビジネスも誕生している。 

2011年11月、被災住民や町外からの支援者が中心となり「一般社団法人おらが大槌夢広場」が誕生した。町民・専門家を含めた幅広い知識と行動力を結集させ、行政機能の低下した分野の補完をはじめ、外部への情報発信強化、地場産業やツーリズムの活性化、町民の起業独立支援などを行っている。

「行政が麻痺して動けない状況では、我々がどうにかしなくてはいけない。自営業をやっている人たちで会議をして、何ができるか話し合うことから活動を開始しました」。代表理事の臼沢和行氏は設立の経緯をこう説明する。 

臼沢氏は高校卒業後、静岡熱海で測量設計の会社に入社。廃れた観光地が好きで、10年近くを熱海で過ごしたが、生まれ故郷の地域を再生させたいとの思いで帰郷した矢先、東日本大震災に遭遇した。役場職員の彼女と結婚を予定していたが、津波で被災し、帰らぬ人となった。 

「仲間がいたから、悲しみを乗り越えられた」(臼沢氏)。 

震災直後の2011年4月からNGOのメンバーとして大槌町の支援に参加した神谷未生氏も発起人の一人。「大槌町を支えているというよりは、やっていて自分が楽しいし、学ばされることがたくさんある」(神谷氏)。 

とは言え、自分たちで起業するのは初めての経験。最初は、町外からボランティアに来てくれる人たちのために、何か大槌の美味しいものを作ってお返ししたいと復興食堂を始めた。「南部鼻曲り鮭といくら丼など、美味しいものを味わってもらって、少しでも長くいてもらいたかった」(臼沢氏)。 

復興食堂は、その後、個人経営をしたいという被災者の仲間に譲り、今は大槌町内の企業の研修や国内外からの視察の受入れ、復興資料館の運営などを行っている。町の復興の様子を全戸に配布する大槌新聞も毎週発行して町内全戸に無料で送り届けている。全国紙や広報では伝えきれない複雑かつ多岐にわたる町の復興情報や、住宅再建、これからのまちづくりに関する記事を、町民目線で、高齢者でも読めるように大きな文字で伝える。 

「町が復興した後も、地域のコミュニティを守るため、自分たちの新聞が必要です」(神谷氏)。 

地域再生を手がけるようになって、「なぜ、自分たちでまちづくりをしようとしないのか、参画しようとしないのか、住民自治の基本を疑問に思うようになった」と臼沢氏は話す。 

「もともと、ここら(大槌)の人間は、知識がない、前に出ようとしない、新しいことをしようとしない。もっと新しい世界があることに気づいてもらい、チャレンジ精神が生まれる仕組みをつくっていけば、地域は再生できるはず」。 

大槌新聞は、住民が自分たちのまちを取り戻していくためのいわば土壌づくりだ。町外からの視察の受け入れや交流会も企画する。「外から来れば、被災地に学べることは多いかもしれないが、それ以上に、我々住民が外の人から学ばせていただくことは多い」(臼沢氏)。今では海外から訪れる人も少なくない。外部との交流を通じ、まちづくりに対する住民の姿勢も少しずつ変わってきているという。 

現在の課題は、活動経費の捻出。町からの緊急雇用費で活動しているが、それが出なくなったら多くの活動が続けられない。 

「もちろん、お金があれば嬉しいですが、今必要なのは、地域活性化や起業のノウハウを持った人。一時的な支援ではなく、ずっと伴走してくれるパートナーがほしい」と神谷氏は話している。