「安定した収入が得られるようになるためには地域全体の復活が不可欠」

大槌町の吉里吉里(きりきり)地区に本社がある観光・運送業者の有限会社城山観光も東日本大震災で壊滅的な被害を受けながら奇跡的な再生を遂げた。 

観光バスの運行やトラック運送、さらにレンタカー事業などを展開していたが、東日本大震災では、本社社屋と50台ほどあったバスやトラック、レンタカーのほぼすべてを失い、残った2台のバスと1台のトラックで事業を再開させた。被災前に15人いた従業員は、当日会社を休んでいた1人が犠牲になったが、出社していた社員は全員無事だった。しかし、震災後は仕事が無くなり9割が会社を去った。同社常務の松橋康弘氏は、「当時は一次解雇でも失業手当が受けられたため、従業員の生活を考えれば、その方がよかった」と振り返る。

経営者である父が、社員の生活を考えて下した苦渋の決断だった。 長年会社を支えてきた社員が次々と会社を去った。それでも、会社の経営はあきらめず、即再建を決意。会社に残った2人の従業員と共に、整備工場を手作りで再建するなど復興に向け取り掛かった。 

当時、唯一の収入は、残ったトラックで建設資機材を運搬すること。1回1万円~1万5000円程度の仕事で、これが1日数回あるかどうかだった。 

転機が訪れたのは4月末。町内で被災した小学校が1つに統合され、その通学にバスが必要となった。岩手県バス協会がその仕事を受注。被災した観光会社にも仕事を割り振ってくれた。バスは2台しかなかったが、県外の観光業者が中古バスを無償で提供してくれたり、格安で譲ってくれたことで徐々に仕事がまわりはじめ、そのうちに県内外からのボランティア受け入れに伴うバスの運転や、仮設住宅建設のための職人の輸送など復興関連の仕事も増え始めた。数カ月が経つと、地域で再開する大企業も出始め、こうした企業が従業員の通勤にバスを使い始めた。会社の経営をあきらめなかった父の決断、バス車両提供などの業界の支援、そして地元企業や地域住民からの信頼が、同社の生き残る道を切り開いた。

売り上げは今や被災前を超えるほど成長した。従業員は、一旦解雇してから戻ってきた人も含め現在20人と被災前より増えている。それでも、経営は決して楽ではないという。新たにバスやトラック、レンタカーを買い足し、本社施設も建て直すなど、支出があまりに大きかったためだ。 

人手不足も深刻だ。復興需要により仕事は増えているが、雇用が底を打っている。県外の運送業者などは、地元より高い賃金を払う傾向にあり、社員が県外の企業に転職する例もあるという。 



復興需要がいつまで続くか分からないという不安もある。「安定した収入が得られるようになるためには地域全体の復活が不可欠」と松橋氏は語る。