(写真:Leonard Zhukovsky / Shutterstock.com)
「それはできるし、そうなるであろうと決意しょう。そうすれば道は見つかるだろう」
                            —リンカーン

ただそこにないだけ

2017年10月31日の水曜日、今これを書いているとき、私のニューヨーク市はもう一つのテロ攻撃からよろめきながら歩いている。

午後2時6分、晴れた暖かいハロウィーンの昼下がり、29歳のウズベキスタン人がニュージャージー州パッセイクのホームデポで白のフォードピックアップトラックをレンタルした。東方向にジョージワシントン橋を渡ってマンハッタンに入り、ウェストサイドハイウェイを南下した。彼はインターネットのプロパガンダによって動機づけられた使命に燃えていた。たとえばウェブ雑誌2010に掲載された“究極の草刈機”と題する記事がある。それはアルカーイダの信奉者にピックアップトラックを草ではなくアラーの敵をなぎ倒す草刈機にするための方法を教えるものだった。

午後3時4分、車道を離れてウェストサイド・ハイウェイと平行している保護された自転車道であるハドソンリバー・グリーンウェイに乗り上げた。自転車道の同じ側にいたジョギングをする人や自転車に乗っている人を跳ね飛ばしながら約1マイル南に走り、8人を死亡、7人を負傷させた。チェンバーストリート、ちょうどロウワーマンハッタンのスタイベサン高校のあたりで自転車道を外れ、黄色のスクールバスに衝突して養護学校の生徒4人に重傷を負わせた。そこでニューヨーク市警の警官に撃たれて身柄を確保された。

攻撃のわずか数分後、警察本部の記者会見でニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモは語った。

「実のところニューヨークは自由と民主主義の国際的なシンボルである。われわれはそれを誇りに思っている。それがまたわれわれをそれらの概念に敵対する者たちのターゲットにすることになるのだ」