避難所でのテントの有効性について訴えるアルピニストの野口健氏。

「国際的な基準であるスフィア基準では、シェルター(避難所)の居住空間は最低限一人当たり3.5平方メートル。適切なプライバシーと安全が確保され、覆いがあり、天井までの高さは最低でも2メートルであることが条件とされる。スフィア基準はもともと地域紛争による難民問題に対応するために作られた基準なので災害時と事情が違うとは思うが、日本の避難所は1人当たりの面積も狭く、プライベートも確保できない。海外の専門家に「ソマリアの難民キャンプより状況が悪い」と言われても仕方がないのでは」と話すのは、アルピニストの野口健氏。NGO災害救援チーム フェニックス救援隊らが主催し、都内で21日に開催した「フェニックスみんなのボラ・セミナー」で講演した。

野口氏は2015年4月25日のネパール大地震時に現地入りしており、現地の惨状を間近に見たことから「野口健 ヒマラヤ大震災基金」を設立。家屋を失った村人たちが安心して家族単位で暮らせるよう、大型テントを村々に届けた。

そのほぼ1年後の16年4月14日に熊本地震が発生。発生当初は「1度に2つの被災地支援は無理だと考えた」という。しかし「熊本地震が発生した後、ヒマラヤのシェルパたちが僕に「日本人に恩返しをしたい」と言ってきた。この言葉にはっとし、熊本地震の支援をしようと心に決めた」と当時を振り返る。

トークセッションを繰り広げる野口氏(中央)と益城町広安西小学校校長の井出文雄氏(右)。左はコーディネータの澤葉子氏

テント村は、かねてから交流があった岡山県総社市の片岡聡一市長のサポートによって震災から10日後に誕生。100張以上のテントが約1か月半にわたり、およそ600人の生活を支えた。テント村を視察に来た海外の専門家たちは、「日本の避難所の状況はひどいが、このテント村のテントは中が広く、天井も高く、環境がいい。かなりの部分で国際基準を満たしている」と口を揃えたという。

野口氏は、「僕は山の専門家で、避難所の専門家ではない。テント村はもともとエベレストのベースキャンプをイメージした。なぜなら山におけるベースキャンプとは「標高5000メートルを超える過酷な状況において、いかにくつろぐ空間を作り上げるか」が大きなテーマ。僕たちはそれを長年追求してきた。もちろん避難所として活用するには賛否両論あったが、病気による緊急搬送が1人も出なかったなど良いことも多かった。もっと検証していけば理想的な避難所になるのでは」とテント村の避難所としての可能性に期待を込める。

「フェニックスみんなのボラ・セミナー」では、野口氏のほか語り部として宮城県女川町役場総務課長の阿部敏彦氏、熊本地震で被災した益城町広安西小学校校長の井出文雄氏らが講演したほか、被災地を「歌うこと」で元気づけた全盲のシンガーソングライター佐藤ひらりちゃんがさわやかな歌声を披露した。セミナーを主催したNGO災害救援チーム フェニックス救援隊代表理事の古川千春氏は、「ボランティアは『ご縁と善の循環』。少しでも多くの人に身近なものなってもらえば」と話している。

古川氏(左上)、井出氏(右上)、阿部氏(左下)、佐藤ひらりちゃんとお母さんの絵美さん(左下)

(了)