被災者は助けてくれる人を必要としている

テレサ・Cは動けないでいる。自分自身にも子供たちにも良い状態ではない。誰か助けてくれる人が必要である。9.11の後のニューヨーク市のパラレルな宇宙でそんなにも長い時間を過ごしたので、いくつかのことが分かっている。そこで仕事をするのがどういうことか、ものごとを成し遂げるのがいかに困難かということだ。言い訳は無用であり、クライシスの最初の数時間に何をするか(あるいは何をしないか)によって判断されるということだ。

しかしそれらの教訓は近隣と都市にのみ当てはまることである。クライシスに際して、子供と家族に人道援助を行うというのはさらに厳しい挑戦である。そのとき問題となる唯一のことは最初の数分間に何をするかだ。

誰もが異なる種類の援助を必要とする

テレサ・Cはいま助けを必要としている。しかし具体的に何を必要としているのだろうか?

そういった質問には簡単に答えたいと思うほどには、答えは容易ではない。人それぞれであるのと同じように災害もそれぞれ違っている。そのニーズは、どういう人か、どのようなクライシスか、どの年代の人か、クライシスのどの段階にいるか、によるからだ。

「それはあまりに複雑だ」と思うかもしれない。「お金をあげればすむのではないか」と。

そう、お金は、とくにそれが無償のものであれば、誰でも常に必要とするだろう。しかしどんなときも、真に必要なものはお金だけではない。そしてFEMAについて見たように、無償の資金は有害なものである。解決と同じくらい多くの問題を生む。

人道援助とは、人々をパラレルな宇宙から戻ってくる道に乗せるのに何が必要かを理解することである。自動車、あるいはタクシー運賃が必要な人、長期のカウンセリングを必要とする人もいれば、思いやりの言葉で良い人もいるだろう。

道端での餓鬼を鎮める仏教儀式が必要な人もいる。

ワールドワイドツアー災害

モヒガンサン・ホテル・アンド・カジノはコネチカットの森の上に突き出ている銀色とガラスがきらりと光る一本岩の高層タワーである。カジノフロアは全米最大級の8エーカーの広さを誇り、にぎやかな模様のカーペットが敷かれ、照明は魅惑的な光を発している。ニューヨーク市のサブカルチャーである徹夜ギャンブラーが自宅へ帰る深夜バスが出るまでの数時間をスロットマシーンや賭博台で賭け事をして過ごすところである。大体の人は車中で睡眠をとる。ちょうど出勤時間に間に合うように戻ってくる人もいる。クライシスが突然、残忍に襲ったのはそうした市内へ戻る深夜バスの一つである。

大量死亡事故

ギャンブラーが半ばを埋めたワールドワイドツアーのバスがモヒガンサンからマンハッタンの中華街へ向けてニューヨーク・ステート・スルーウェイを疾走中、輝く朝日の上端が地平線のかなたから顔を出していた。バスはニューヨーク市の北の境界を越えてブロンクスへ入ったとき、突然路外へ逸脱した。バスの運転手はトラクタートレーラーが左側から追い越しをかけてきて、あまりに急なレーンチェンジをしたためにバスのフロントバンパーをひっかけたのだと主張した。われわれには運転手のオーファデル・ウイリアムズは直前の3日間ほとんど寝ておらず、高速道の特別に危険な直線コースを時速80マイル以上でぶっ飛ばしていたということが分かっている。

運転手がコントロールを失ったとき、バスは横転し側面を下にして、キーキーと音をたてて火花のシャワーを出しながら横滑りした。右側のガードレールに沿って150ヤード行ったところで標識に激しくぶつかった。頑丈な鉄柱がフロントガラスに突き刺さり、前部から後部へ乗客窓のラインで車体を真二つに切り裂いた。

標識が車両の内部深くにめり込んだことによって、凶事を運命づけられたバスの中では、頭を切断された人、逆さまにぶら下がった人、暗闇で叫んでいる人、必死に外に出ようともがいている人などで身の毛もよだつ光景が生じていた。ある人は路上に投げ出され、またある人は金属の残骸でできた迷宮の中に閉じ込められた。

人間が山積みになっていた、金属や残骸でくるまれて、バスの前部から後部まで、死体があった。山積みとしか言いようのないものだった。現場の第一対応者の一人であり、救助消火活動の経験が20年のベテランであるジェームズ・エルソン隊長(42歳)の言である
 ―ロバート・D・マックファデン、ニューヨーク・タイムズ、2011年3月12日

乗客33名のうち15名が死亡し、生存者の多くも重傷を負った。

どの災害も異常であり、それぞれ特徴的であるが、これらは最悪のものである。その名が示すとおり、大量死亡事故は人間の死のサージ(大波)である。犠牲者と家族、共同体・市・国にとってどれもが大災害である。

だれもその残忍さからは逃れられない。免疫があるのではないかと思われる専門家でさえそうである。現場の対応に呼ばれた人たちが大量殺傷の第一目撃者である。影響を受けないで立ち去る人はいない。

災害専門家はそれを目撃することはないが、それでもわれわれはおそろしい。最初の数時間、現場の破壊の中で立ち働く消防士や警官の上空でヘリコプターが空中停止するとき、われわれは対応の尻尾で生存者に一点集中して働かなければならない。

われわれはパラレルな宇宙へ旅をして彼らと結びつかなければならない。クライシスに直面する彼らに寄り添って立つ。それは比類なく強烈で、多様で悲痛な深い悲しみ、いきいきとしていた、愛する者を突然失うときにのみやってくる深い悲しみである。父・母・姉妹・兄弟は彼らに会えると思っていた。今は永遠に会えない。遺族の多くは、彼らにさよならが言えるなら、愛していたと伝えることができるなら、何でも、命でさえ差し出すだろう。

彼らの人生における最も絶望的な瞬間である。抑えることのできない、もっと知りたいという乾きに駆られて、食事・睡眠・シャワーなどのことまで全く忘れて、どうすることもできなくなる人もいる。「いまどこにいるの? どのように死んだの? 最後の瞬間はどうだったの?」と。

絶えることのない情報の流れだけが役に立ち、どんな細かいことも小さすぎるということはないように思われる。

大量死亡事故の後では、災害専門家はどの一つも時間の猶予を許されない課題のサージに取り組むために深い悲しみとカオスの中を歩いて行かなければならない。食料・睡眠・シャワーを提供すること、受入センターの場所を決め、要員を配置し、設備・備品を搬入し、物品を補給すること、過激なメディアに対応すること、警官の記者会見と家族への説明会を予定すること、現場の調査を支援すること、遺体の搬送と検視官の会見を手配すること、そして現場の回復と正式死亡通知を整合させることである。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300