地下にギリシャ神殿のような空間が広がる首都圏外郭放水路。テレビ撮影にもよく使われる

「常総水害」起きなかった埼玉県東部

2015年9月9日、積乱雲が帯状に連なる線状降水帯が栃木県と茨城県の上空に停滞し、長い間集中豪雨をもたらした。気象庁は「特別警報」を発し最大限の警戒を呼びかけた。記録的豪雨が大地を叩き続け河川の氾濫が相次いだ。大洪水は関東・東北の両地方に集中した。翌10日、常総市三坂町の鬼怒川左岸(東側)堤防が決壊した。堤防を切った濁流は東に流れ下って、常総市の3分の1にあたる40㎢(東京・江東区と同等の広さ)が浸水し、宅地や田畑は泥の海に没した。埼玉県東部でも豪雨が続き、惨事は避けられないとみられていた。ところが、春日部市などの一部地域が浸水した以外は大事には至らなかった。なぜか?春日部市の石川良三市長は追想する。

「春日部市内で350~360㎜の豪雨が降りました。その際、首都圏外郭放水路(以下外郭放水路)への洪水流入量は約1837万t、50mプールで約1万2247杯分というはかりしれない量になりました。この豪雨で外郭放水路が機能したにもかかわらず、河川は氾濫危険水位を超えました」。

「これらの状況から、春日部市を襲った豪雨は、堤防が切れた常総市以上だったと考えられます。それだけに外郭放水路の絶大な効果を評価しなければなりません。今回の洪水で、東武伊勢崎線せんげん台駅東口が浸水し国道4号バイパスと国道16号の冠水による通行止めとなりました。ここだけは冠水しましたが、被害は大事には至らず最小限にとどまったのは外郭放水路のおかげです。世界に冠たる地下放水路と言えます」。

「放水路の運用により春日部市は<水害の街>の汚名を返上しただけでなく、整備したインフラが機能を発揮する『ストック効果』が大幅に増大しました。工場群の進出や住宅街のインフラ整備などが飛躍的に進んでいます」。

首都圏の外郭に位置する埼玉県東部の中川流域と周辺地域は、東京通勤圏内として好立地条件にあり、高度経済成長期以降、住宅建設や工場立地など人口や資産が集中する傾向にあった。だが流域は古来利根川や荒川が洪水のたびに乱流し、江戸時代の昔から浸水被害に悩まされてきた。中小河川の勾配がゆるやかで水が流れにくく、大雨に見舞われると水位が下がらないため洪水発生の危機的状態が続いていた。皿のような低平地であるため広域的な浸水被害を繰り返し被ってきたのである。

国や県は、1973年に策定された流域整備計画に沿って、河川対策と流域整備が一体となった総合治水対策を推進した。だが流域の急激な都市化の進行に河川改修が伴わず、流域対策も立ち遅れていた。良好な宅地供給も進まず、地元からは早急な治水安全策を求める声があげられていた。