(写真:代表撮影/AP/アフロ)

翌日、環境技師たちと大気サンプリング装置を積んだ保健局のキャラバンはロウワーマンハッタンのがらんとした通りを南下した。

私には頼みたいことがあった。ニューヨーク市学校建設局で環境問題を担当している昔馴染みのアレックス・ランパートに電話をした。ランパートは豊富な大気サンプルの資源を自由に使える立場にあった。ワールドトレードセンターの現場で大気の検査をするので助けてほしいと言ったら「よし行こう、何をしようか?」との返事であった。

午後の遅い時間だった。マシンガンを持ったニューヨーク市警察とナショナルガードの隊員が詰める複数のチェックポイントを通過した。どの通りも建物と側道は厚いほこりの層で覆われて、ショップは空っぽで時間が止まっていた。

やっとわれわれはニューヨーク市消防の現場指揮所へ到着した。通りの向こうには瓦礫の山、高さ100フィートはあるI形鋼とコンクリートの絡まった塊があり、外壁に使われていたステンレスの破片が瓦礫の中で傾き曲がっていた。消防士たちの小さな人影が山の斜面に散らばっていた。

私がバンから降り立ったとき、ショーツとスリップとTシャツ姿の10代の少女がどこからともなく現れた。明らかにニューヨーク市警とマシンガンから逃げてきたように見えた。一言もなく白い5ガロンのバケツに手を伸ばして“神の加護がありますように”と書かれた赤と白と青のリボンのついたジップロックバックに入ったサンドイッチを差し出した。

私は周りを見回して他の訪問者を見た。それぞれの任務についている警官、消防士、軍人に加えて、内務省、商務省、退役軍人省などさまざまな連邦機関の人たちがいた。みんな関係のない仕事でたまたま市内に居合わせていて、政府発行のIDを使ってダウンタウンに来ていたのだ。彼らは自らを危険な状況に置くほかは何もすることなく、この世のものとも思われない現場を凝視して立っていた。

ニューヨーク市消防の現場指揮所は、ウェストとビジーの交差点の真ん中に集められた明るく照らされた白いテントの集合体であった。私が指揮官に会うために人混みの中を歩いていくと、彼はそれぞれの大隊長の割り当てられた象限グリッドでワールドトレードセンターの16エーカーの現場を示す手書きの地図を持って、白板の前に立っていた。自己紹介をはじめたとき彼が遮った。彼は私が誰で、何のためにいるのかを知っていたのだ。彼はそこを離れた。私は立って、待った・・・

そして一人また一人と大隊長が出てきた。

われわれが何をしているかを説明したとき彼らは丁寧に耳を傾けた。それぞれが昔の携帯用テーププレーヤーほどの大きさの大気サンプラーを腰のベルトに、そして吸気チューブを首にクリップで取り付けたとき彼らは全く動かないで立っていた。彼らのまなざしは、周囲の恐怖からは感情的に切り離されている、軍人の無表情な一点に集中することのない凝視であった。そして彼らは瓦礫の山の中に消えていった。

われわれはサンプラーを、建設労働者、クレーンオペレーター、FBIのエージェントなど、可能な限り大勢の人に着用させた。持ってきたサンプラーの残りは、電柱、フェンス、その他ちゃんとしたサンプルを採集できるとこならどこへでもテープで括り付けた。

同時に、私と保健局の他の者による大気サンプラーの正式な要請が実を結び始めていた。次の2週間の間にアスベストのサンプルを250以上採取し、シリカ、一酸化炭素、鉛・カドミウム・水銀・ヒ素などの重金属、ベンゼン・トルエン・ホルムアルデヒドなどの揮発性有機混合物のサンプリングを始めた。市の環境保護局は現場の周辺に検査所を設けて数百の大気サンプルを採取していた。

われわれは当日得たデータによってワールドトレードセンターの現場ではP100マスクの装着が必要であると確信した。不幸なことにはそれは装着を必要としている人たちを納得させるのには不十分であった。