衛生局の塩撒き車両が壁に衝突して突きぬけて3階で宙ぶらりんになっている、公園局のごみ収集車がイースト川に転落する、クレーンがコンエジソン電力会社の送電線に倒れ込む、クレーン車が民家に倒れる、地震がわれわれを揺さぶる、ハリケーンが襲う、竜巻がクイーンズ区で発生する。われわれのビジネスでは、これらは人生の間に遭遇する忘れられない経験であろう。しかし、われわれには8月の最後の2週間だけの出来事に過ぎない。
2011年9月 副長官ジョン・サリバンからOEMへお別れメール
OEMの誕生
ブルックリン区の東フラットブッシュで生まれて大きくなったルドルフ・ウイリアム・ルイス・ジュリアーニは、民主党候補のデイビッド・ディンキンスを破って、過去30年間で初の共和党員のニューヨーク市長となった。市は当時、犯罪の急増と全国的な不況による失業でよろめいていた。ジュリアーニは、ニューヨーカーに酔っ払いや乞食に支払う「ストリート税」を根絶すると約束した……信号待ちの車のドライバーから小金を巻き上げるフロントグラス掃除人、ごみ嵐、密売人や乞食が残したゴミが渦巻く山、不潔な通りの屋外ドラッグ売場を。
1994年1月に任命されると、ジュリアーニは全米のほとんどの州政府さえよりも大きい巨大な政府の官僚組織の権力を握った。ロウアー・マンハッタンの市庁舎を本部にして、ニューヨーク市政府は、“強力な市長”を中心に組織されていた。30万人以上の市職員が公的サービスとすべての市条例執行の責任を負っていた。中央集権化された市政府は、ジュリアーニに完璧に合っていた。なぜなら、市長として消防、警察、保険と福祉サービス、住宅、衛生、建設、上下水道を含めた十数の強力な部局のボスであった。
ジュリアーニは、全く新しいアプローチを市役所に持ち込んだ。彼は地元の政治家クラブの出身ではなかったので、膨大な借りを負っていなかった。彼は、アウトサイダーだったのだ。権力の法則とそれをどのように使うかを本能的に理解するタフな前連邦検察官であった。真っ先に何よりも説明責任なしに何も成し遂げられないと知っていた。彼は、市政府組織の豊富な知識を素早く獲得した。市政府の組織図の幾層も降りて、誰がどの責任を負っているかを知っていた。ジュリアーニと彼の副官たちは、彼らの必要なものを手に入れるために、いつでもどの部局内でも深く入り込んでいった。
彼の政権の早い時期に、ジュリアーニはニューヨーク市警察局(NYPD)と市消防局(FDNY)の縄張り争いにうんざりしていた。ビッグブルー(NYPD)とビッグレッド(FDNY)の争いは1980年代に始まり、続く10年間にエスカレートして、1990年代まで続いた。長年の対立関係を取り組むために、現場に彼の権限を投げ込む必要があった。しかし、彼はいつもどこにでもいることはできない。彼自身を引き延ばして、ボスを現場に連れて行く人物が必要であった。
最初の任期2年目となり、彼は警察局に埋もれた緊急事態対応と呼ばれる業務を統括する小さなユニットのことを耳にした。彼はそれをNYPDから引き抜き、市本部に持ってきたのである。組織名称を緊急事態対応市長オフィスと改めた。そして、元IBM危機管理責任者であるジェローム・ハウアーを採用して、そのユニットを運営させた。彼は直接市長に報告することになり、すぐに欠くことのできない市長のアドバイザーグループ一員となった。緊急事態対応市長オフィス(OEM)は、わずか12人のスタッフで始まった。彼らは市政府の主要な部局からの経験豊富なベテランのエリートグループであった。このグループの最初の仕事の一つが、FDNYとNYPDの連携関係を改善して、どのような緊急事態にどちら部門が権限を持つかを明確にすることだった。
OEMは、監視指令所というコミュニケーション・センターと共に移管された。監視指令所の業務は、四六時中、世界中で何か危険が近づく兆候がないかを見守り、聞き耳を立てていることである。監視指令所は、いろいろなコミュニケーションのチャネルから、例えば、緊急無線、警報システム、ニュース速報、ニューヨーク港や市内の通りからのライブ映像や他州や連邦政府の監視センター等から情報を得る。
監視指令所は、世界にむけたジュリアーニの目であり耳であったが、OEMは現場の目であり耳であった。ハウアーと彼のチームは携帯電話とポケットベルを取り合わせてベルトに装着して、緊急事態、例えば、ヘリの墜落、地下鉄火災、建物倒壊、水道本管破裂などの現場でお決まりの顔ぶれとなった。同時に、それは西ナイル・ヴィールスの発生やY2Kのような重大な事件における市当局の対応においてリーダーシップの役割を果たすように機能した。それが仕事の現場に現れると、街路であれ市庁舎であれ、OEMはボスのように振る舞った。
OEMは、古参の人たちが言う「ジュース」を持っていた。彼らは、ルールとニューヨーク市政府の巨大マシンのギヤを入れて動かすことができる操縦者たちを知っていた。彼らは、これらの操縦者たちに昼夜を問わず四六時中に「お願い」の電話を掛ける。お願いは頼みごと、または特別は要請である。それはいつも緊急で、寒い冬の真夜中に倒木を取り除くためにフロントエンドローダーや、建物の壁面の完全性を評価するための構造工学技術者が必要となることなどである。
ハウアーからの要請は、市長からの命令とほとんど同じであると誰もが知っていた。その理屈は単純だ。ハウアーにノーと断ることもできるが、ハウアーはジュリアーニの業務執行担当の副市長のジョー・ロータに電話をかけるだけだ。すると、ロータから電話をもらったあなたの上司から電話がかかってくる。この最後の2、3の手間を省いたほうが良い。お願いを実行するだけだ。
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