第5回:BCPに不可欠な「ドメインナレッジ」
普段使いしていないシステムは災害時に使えない
国際大学GLOCOM/
主任研究員・准教授、レジリエントシティ研究ラボ代表
櫻井 美穂子
櫻井 美穂子
ノルウェーにあるUniversity of AgderのDepartment of Information Systems准教授を経て2018年より現職。博士(政策・メディア)。ノルウェーにてヨーロッパ7か国が参加するEU Horizon2020「Smart Mature Resilience」に参画。専門分野は経営情報システム学。特に基礎自治体および地域コミュニティにおけるICT利活用について、レジリエンスをキーワードとして、情報システム学の観点から研究を行っている。Hawaii International Conference on System Sciences (2016)およびITU Kaleidoscope academic conference (2013)にて最優秀論文賞受賞。
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今回取り上げるのは前回ご紹介した双葉町の北部に隣接する福島県浪江町です。今回の事例でも、主に経済資本と組織資本、人間資本の働きがよく分かると思います。どの事象がどのキャピタルに当てはまるか、考えながら読んでみてください。
■2011年3月11日
大津波の第1波が浪江町沿岸に到達したのは、2011年3月11日15時33分でした。町内には12カ所の避難所が開設されました。地震直後から停電が発生したため、町役場では外部との連絡手段が利用できなくなってしまいました。そのため、情報源はバッテリ―稼働のテレビなどに限られました。原発の被害状況に関する国からの情報は、一切入ってこない状況となったのです。
■3月12日
翌3月12日の午前、浪江町長(当時)はテレビなどの情報を頼りに、東京電力福島第一原子力発電所から半径10キロメートル圏外への避難を決定しました。同日13時、町災害対策本部が同町北西部にある津島支所へ移転しました。浪江町の情報部門職員は、津島支所へ避難する際にパソコン3台を庁舎から持ち出しました。さらに津波による被災者特定のため、住民基本台帳データをCSV形式で吐き出し持っていったのです。それ以外のデータについては持ち出す余裕はありませんでした。
同日15時36分に同発電所1号機が水素爆発を起こしました。津島支所では固定電話が使えず、福島県が提供した2台の衛星電話を県などとの連絡に利用しました。
■3月13・14日
3月13日15時41分、同発電所1号機で再び水素爆発が発生、14日11時1分、同発電所3号機でも水素爆発が起こりました。
■3月15・22日
3月15日4時30分、町長は独自の判断で町外への避難を決定し、西に隣接する二本松市へ町民の受け入れを依頼しました。同日10時、町長が浪江町全域に避難指示を発令、町民と職員は二本松市東和支所への避難を開始しました。職員は、庁舎から津島支所に持ち出した3台のパソコンと、津島支所に元々設置されていた7台のパソコンの合せて10台を二本松市へ持ち出したのです。
3月22日からは罹災証明書の発行を開始しました。
■4月22日
4月22日、福島第一原子力発電所半径20キロメートル圏内が警戒区域となりました。この区域には、浪江町の一部も含まれていました。
■5月23日
5月23日、二本松市郭内にある福島県男女共生センターに行政機能が移転されました。
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