2019/05/07
安心、それが最大の敵だ
朝日新聞への襲撃
「帝都に青年将校の襲撃事件、斎藤内府・渡辺教育総監、岡田首相ら即死す。高橋蔵相・鈴木侍従長負傷、非常警備の処置をとる」。
これが事件当日午後8時15分の陸軍省発表を基にした2月27日付「大朝(大阪朝日新聞)」の見出しだった。陸軍大尉野中四郎、安藤輝三、香田清貞以下、陸軍将校22人、下士官、兵1400人と西田税(みつぎ)らの右翼を動員した2.26事件では小銃、機関銃で武装した部隊が、首相官邸、斎藤実内大臣私邸など各所で閣僚・重臣などを襲った。しかし、同日夕刊による事件の報道は東京憲兵隊長から差し止められた。言論の自由は圧殺されていた。
上記の陸軍省発表には誤りがあり、「君側の奸」「統帥権干犯の賊」として襲撃された内大臣・海軍大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、陸軍教育総監渡辺錠太郎は射殺され、侍従長・海軍大将鈴木貫太郎は重傷、前内大臣牧野伸顕は裏山に逃れて助かり、首相官邸で即死と伝えられた岡田首相は、実は義弟の陸軍大佐松尾伝蔵の射殺を襲撃軍が誤認していた。岡田は押し入れに隠れおおせ、27日夕、秘書官の迫水久常らに救出された。
襲撃部隊は警視庁を占拠し、主力の兵を現在の憲政記念館(元参謀本部所在地)から国会議事堂、首相官邸、赤坂見附にわたる永田町一帯に展開させた。部隊は「尊皇討奸」「昭和維新」と墨書した大畑を掲げ、兵士は軍帽の上に鉢巻きを締めて、「昭和維新の歌」といわれた「青年日本の歌」を高唱した。
同日午前8時50分頃には、首相官邸を襲撃してきた栗原安秀中尉、高橋蔵相を襲撃した中橋基明中尉の率いる下士官約60人が、軍用トラック2両と乗用車で「東京朝日新聞」本社に乗り付け、同社を包囲する態勢をとった。兵士らによると、反軍的記事を掲載する「朝日」の発行を阻止するのが目的で、社内に乱入した兵士たちは次々と活字ケースを引き出してメチャメチャにひっくり返した。
編集局長室にいた緒方竹虎主筆(最高編集責任者)が襲撃部隊の青年将校に会っており、同社「社史」は緒方の記憶をまとめている。緒方がエレベーターガールの沈着な態度に落ち着きを得て下に降りていくと、中尉の制服をつけた男が目を真っ赤に血走らせて立っており、右手にピストルを持っていた。「私が代表者だ」と名刺を渡し、無言のまましばらく対峙していたが、中尉はいきなり右手を高く上げ、天井を見ながら大声で「国賊朝日をたたきこわす」とか「やっつける」とか怒鳴った。緒方は「社内には女性や子供(原稿係の少年や見習工)もいるので出すまで待ってくれ」と言うと「すぐ出せ」というのでエレベーターに乗ろうとしたら先ほどの女の子が平気で待っていたのでまた感心した。4階の自室の机の上などを片付け、玄関まで降りると上の方でガチャンガチャンとやっている。やがて酔っぱらった兵隊が出て来てトラックに乗り出したので編集局に帰ると、叛乱軍の宣言書がはりつけてあった。例の中尉は、写真を調べると高橋蔵相を射殺して来た中橋基明だと分かった。
乱入した兵士たちは、輪転機のある印刷工場に入ろうと斧を振るったが、鉄の扉は壊せず、活字予備室には兵士たちが気付かなかった。夕刊発行には支障はなかったが、蹶起部隊を刺激しないために発行を見合わせた、という。
美土路昌一編集局長が説得して社内にいた全員が外に出た中で、電話交換手の森田キチ、岡田ふさ、岡本ふみ、矢橋なつの4人の女性は4階の電話交換室に残って外部との連絡を守り抜いた。交換室の表札をはずし、内側から鍵をかけ、外に声が漏れないよう毛布をかぶせて仕事をした。
叛乱軍の蹶起に際しての趣意書は「所謂(いわゆる)元老重臣軍閥政党等は此の国体破壊の元凶なり。倫敦(ろんどん)海軍条約並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭窃(せんせつ)を図りたる3月事件或は学匪共匪大逆教団等利害相結で陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、其の滔天の悪罪は流血憤怒真に譬(たと)へ難き所なり」としている。
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