2024/04/12
事例から学ぶ

1971年に最初の物流ビルが竣工してから、大田区平和島という主要高速道路に囲まれた立地を生かし、50年以上にわたり首都圏の流通を支えてきた東京流通センター(東京都大田区、有森鉄治社長)。物流の要としての機能だけではなく、オフィスビルやイベントホールも備える。2017年、2023年には免震装置を導入した最新の物流ビルを竣工させた。同社は防災対策だけではなく、BCMにも力を入れている。
❶よりどころとなるBIA作成
・ 具体的な対応までをBIAシートに記述することで発災時に活用。
❷柔軟な組織体制
・発災時の対応チームと人数の増減を前提とし、被害に応じて柔軟に変更できる体制を整備。
❸ 対策本部の効率性を高める工夫
・ ホワイトボードに記入欄を事前に設けることで、効率的な情報収集と整理を可能に
BIAシートをもとに動き出す

東日本大震災以前よりBCMに取り組んでいた東京流通センター。2016年8月に三菱地所グループに入ってからは、具体的でより精緻なBIA(事業影響度分析)を実施するようになった。
BIAシートには、全ての部署が詳細かつ具体的な内容を、課レベルで記入。シートの記載項目には業務の内容から停止の最大許容日数、影響先、許容停止期間の根拠などが並ぶ。防災管理室課長の長谷川瑛氏は「例えば、通信なら3日後の復旧でも遅い。即時に対応が必要な項目には3日後に×をつけます」と説明する。
発災時には、このBIAシートをもとに動き出す。見直しも毎年行い、最近の更新では2023年に竣工した物流ビル新A棟に関連する内容が付加されたという。
「現在、特に優先度の高い業務に関しては担当者以外でも対応できるように、全社的にマニュアルづくりを進めています」(長谷川氏)
同社でBCMと防災を担当するのは総務部。部内は一課、二課、防災管理室、サステナビリティ推進室の4つにわかれる。その中で各種災害の対策計画の策定を担当してきたのが防災管理室。震災対策計画、感染症対策計画に加え、2023年には噴火対策計画を策定してきた。
対策本部の体制は、発災後の緊急事態と事業継続に対処するため、被害状況に応じて組織横断的かつ柔軟に編成する仕組みになっている。
防災管理室長の熊野裕二氏は「災害が発生した場合は、緊急対応と同時に、再開すべき事業の洗い出しや体制の確保に着手する必要がある。BIAシートをもとに動き出しますが、被害状況によって対応すべき内容が大きく変動するため、対応チームや人数を増減できる体制の柔軟性は不可欠です」と語る。
同社では、一定の条件を超える災害が発生すると緊急対策本部が自動的に立ち上がる。地震であれば震度6弱以上。緊急対策本部のメンバーは経営層が中心で、重要案件の判断を行う。防災管理室は施設管理上の実務を司る指揮本部を担う。避難や消火活動などに一定の目処がついたところでBCPを推進する。

発災時に緊急対策本部が設置される部屋には「本部隊編成表」と記載されたホワイトボードが備えてある。全従業員のネームプレートが貼り付けてあり、誰がどの役割で動いているか、例えば初期消火班、避難誘導班、応急救護班のどこに振り分けられているかを識別できるようにしている。
「これも初動で柔軟性をもって行動するための対策です。班員が出社していなければ、別の班員が対応します」と長谷川氏は話す。
東京流通センターの従業員は60人ほど。協力会社を含めて約100人以上が常駐し、4棟の物流ビルを管理している。総務部長の相島一郎氏は「一般的に物流センターの構内にオーナーが常駐しているケースは少ない。オーナーがテナントと同じ構内に常駐することにより、災害時に素早く情報を収集して判断が下せるのが当社の長所」と話す。
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