■場違いの二人連れが山奥の小屋に
その日の夕方、ハルトは西丹沢の犬越路避難小屋の中でくつろいでいました。大きく明るい窓の外には、暮れなずむ晩秋の風景が広がっています。
土曜日とはいえ、奥まった場所にある小屋だけに人気はなく、今夜はハルト一人の貸し切りになりそうです。新しく買ったハイパワーのランタンを眺めながら「夕食を食べたら暖かなシュラフに潜り込んで、心ゆくまで読書に没頭するぞ」とつぶやきました。
日が落ち、煌々と灯るランタンのもとで夕食に満足し、さて寝床をつくるかと腰を上げた時のことです。なにやら小屋の外でざわつく音が聞こえます。こんな時間に登山者?と思う間もなく戸が開いて、おそるおそる顔をのぞかせたのは、二人の男性でした。
「ココ、△×◯デスカ?」。彼らはジーンズに薄手のジャンバー、スニーカー、そしてショルダーバック姿。日本人ではなさそうです。ハルトが片言の英語で尋ねると、二人はシンガポールから旅行に来た親子だと答えました。父親が手にしていたのはストックならぬ杖でした。
「△×◯」の部分をもう一度聞き返すと、どうやらそれは檜洞丸という山の頂の近くにあるA山荘のことらしい。この日はA山荘に1泊し、翌朝ご来光を見て往路を戻る予定だったと言います。ところが山頂の分岐で方向を間違え、A山荘のある東側のコースではなく、北側のコースに入り込んでしまった。そして2時間かけて下りてきたところにあるこの避難小屋を見つけたというわけです。
■ハルトの緊急避難所運営
「で、その後彼らはどうしたの?」。会社の山の先輩ヒデさんが尋ねます。
「ルートを間違えたのは自業自得なんだからと、彼らを放ったらかしにして自分だけ暖かなシュラフに潜るわけにもいきませんしね。楽しみにしていた静かな読書の一夜も台なしになるけど、これは山のアクシデントなんだから寛容と共助の精神で臨むしかない、と割り切るしかありませんでした」
「父親の方が唇を青くしてガタガタ震えていたので、まずお湯を沸かしてコーンスープをつくってあげました。息子の方はコーヒーを。水は?と聞くと、バックの中から缶コーラを5、6本も取り出したのには驚きましたね。行動食はもう食べ尽くしたというので、僕が翌朝食べる予定だったスパゲティをつくって、分けて食べるよう言いました。夕食の後、相変わらず震えの止まらない父親には僕のシュラフを使ってもらい、僕らは小屋に備え付けの古い毛布と新聞紙を重ね敷きして一晩をしのぎましたよ」
「夜はさすがに寒かったですが、息子の方が時々話しかけてくるので気が紛れました。日本ハスバラシイ! イロイロ楽シイ所ヲ訪問シタケド、他ニ面白イ場所ハアリマスカ? ヨカッタラ教エテクダサイ、明日ノ朝ハドウ行ケバ、バス停ニ戻レマスカ?などなど。翌朝はバス停までのルートを紙に書いて渡し、沢の下降点まで道案内しましたが、念のため後で警察にも連絡を入れておきました」
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