■お昼抜きの難を逃れたハルト
その日の昼、ハルトは富士山が正面にドーンとそびえる三つ峠山の頂上にいました。天気は快晴の小春日和、日差しもあたたかです。いつまで眺めていても見飽きない富士山ですが、ここらで昼食にするかと思い立ちました。頂上から少し下ったところにある木陰に腰をおろし、コッヘル(登山用の調理鍋)でラーメンを煮ている時のこと。
麺を割り箸でほぐそうとしたら、ポキっと2本とも折れてしまったのです。「チェッ、ついてない!」。これではお昼が食べられません。おまけに一度お湯に浸った麺はふやけ気味。持ち帰るのも困難です。ハルトは途方に暮れました。
近くにいた中高年の登山者グループに、恥をしのんで「すみません、割り箸1膳お持ちではないでしょうか?」とお願いすることも考えましたが、戦意喪失気味で声をかける気も起こりません。
そのとき、ふと彼はポーチに登山ナイフが入っているのを思い出しました。「これだ…」。彼はあわただしく近くの灌木から手頃な太さの真っ直ぐな枝を折り、2本に分け、登山ナイフで節の部分を削り取りました。
小枝でつくった箸は不格好で持ちにくく、皮をむいたばかりなので少し青臭さもありましたが、箸として使えないことはありません。彼は手づくりの箸でそのままラーメンをつくって食べました。「このワイルド感、まんざらでもないな…」と満足顔のハルトでした。
■必要なモノが手元にないときがリスクだ
後日、ハルトは会社の山の先輩ヒデさんにこのことを自慢しました。「ハルト君、山男として一皮むけたわけだね」。ほめているのか冷やかしているのかよく分からないコメントを述べたヒデさん。「代用の知恵なら僕にも思い当たることがあるよ」と話を引き継ぎました。
北アルプスの涸沢でのこと。ヒデさんたち一行はびっこを引きながら下山してくるおじさんに出会いました。大丈夫ですかと尋ねると、浮かぬ顔で片足を上げて見せてくれたのが、ワニの口のようにつま先が開いてしまった登山靴。ヒデさんの友人はザックから小ぶりなガムテープを取り出し「これを靴に巻けば、なんとか上高地までは持つでしょう」といって差し出しました。
「新聞紙」がいろいろ役に立つという話も出ました。休憩のときに地面に敷くのはもちろんのこと、食器拭きや寒いときは背中に入れて保温シート代わりに、登山靴やシュラフが雨で濡れたら吸水紙としても使えます。ヒデさんと話をしながら、ハルトは次のようなことにも思いを巡らせました。
肝心なものが肝心な時に手元にないとか、ふだんは気にも留めない無用の長物がいざというときとても役立つとか、けっこうありがちなことかもしれない。靴底の剥がれをガムテープでカバーできたことなどはその一例だ。もしヒデさんの友人がこのアイデアを提示しなければ、そのおじさんは危険な岩の道を下山中につまずいて大怪我をしたかもしれない。
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