消防団・業界団体との連携

対策本部の中には消防団幹部もいて、地域の中を消防積載車で見守り広報巡回していただくなど、地域の安全の確保に大きく貢献していただきました。また建設業組合など業界団体の方も対策本部におりまして、被災地の近くの企業に「あそこで倒木しているから重機を持って行って通れるようにやってくれ」と指示を出してもらうなど、行政だけでなくそういう団体からの支援・連携で地震対応を乗り切ることができたと感じています。こうした地域の関係は今後も大切にしていきたいと思いますし、やはり日ごろから対策本部の中で、こうした流れを踏まえて訓練しておくことが重要だと思います。
私は、役場の経験は長いし、消防主任など経験していますから、災害対応についても、だいたいのことはよくわかっているつもりです。消防署職員も何かあれば、すぐに役場に来ますし、副町長も役場職員出身で町行政に詳しく、私が言わなくてもちゃんと動けるようになっています。こうしたことも今後も若い職員に伝え、自ら行動が出来るようにしていかないといけません。

対策本部でトップがやるべきことに取り組んだ

地震後は、もっと大きな余震がくるかもしれないし、対策本部室にいないといけないということで、昼も夜もずっとそこに詰めていて、いろいろな情報に対し、できる限り早く本部で取り組めるようにしました。
例えば、屋根にかけるブルーシートがないということで、いくつかの企業に電話をしてブルーシートが足りないから持ってきてくれとお願いしました。ところが今度は張る人がいない。そこで対策本部におられる自衛隊にもお願いをしたら、上司の命令がないとだめですと言うわけです。そこで、連隊長に電話をして、雨漏りもするので、どうにかブルーシートを張ってもらえないかとお願いをすると、「町長申しわけない、災害派遣活動では3つの原則(緊急性・公共性・非代替性)があって、民間企業を圧迫するような仕事は出来ない」と言われました。この時は2日ほど後に、自衛隊の人が来られてボランティアとしてブルーシート張りの手伝いをしていただきました。

決まりの中で動けない時にトップが行動

仮設住宅をつくるにも企業にお願いをしました。本田技研にお願いして、本田技研の独身寮だった場所を使わせていただくことにしました。さらに、本田技研の体育館を「ホンダ村」という形で、南阿蘇村の立野集落の方の避難所にもしてもらいました。
工業団地から出ていくという企業も出ましたが、この時は、どうか出ていかないでくださいと頼むとともに、すぐに県知事にも協力のお願いに行きました。
行政職員は決まりの中で動こうとするので「ダメです」というものが必ず出てくきます。こうしたことを早い決断で解決していくことは、トップにしかできないことだと思います。

まちづくりのたたき台を示して協力を得る

20年後ぐらいの将来には、少子高齢社会、年金、医療問題などの難題がやってくるかもしれません。だから、大津町は未来のその受け皿となるべく今回の経験を生かして今のうちから準備しておきたい。周辺地域から大津町に働きに来て地元に帰る。買い物や病院に行く時も大津に来る。大津町がそんな役割を果たせるまちづくりをしていきたいと考えています。
まちづくりというのは、住民の皆さんに夢を示して、目標に向かって協力してもらうようにしないとうまくいきません。一方、町民からは賛成の声もあれば、反対の意見もありますし、すべて行政任せという方もいる。平穏無事なときには皆さんの意見を聞いて進めていけばいいのでしょうが、こういう震災復旧で急を要するような場合には相談をするのも必要だけれど、ある程度のことはリーダーシップを発揮して進めていかないと難しいと感じています。
災害が起き、過去は失いましたが、未来は変えることができます。未来を変えるために、地域の過去の人たちのいい部分を引き継いで若者が住みやすい街がつくれるよう、人材を育成していくことが大切だと考えています。

 

家入勲氏 プロフィール

■生年月日
昭和17年5月3日

■学歴
昭和40年 3月 熊本商科大学商学部卒業

■職歴
昭和40年 4月 大津町役場入庁
平成13年 4月 総務課長
平成15年 3月 大津町役場退職
平成16年12月 大津町長就任

本インタビューから学ぶ危機管理トップの心得

冒頭にも書きましたが、このインタビュー内容だけでトップの行動の是非を検証することはできません。ただし、常にトップ、あるいは危機管理担当者が考えておくべきポイントはいくつかあったと思います。ここでは、「外部への協力要請」についての私見を述べさせていただきます。※あくまで個人的なもので、検証報告書の内容とは一切関係がありません。

外部への協力要請はトップの重要な役割
大津町長のインタビューからは、小規模自治体特有の悩みや課題が感じられました。特に、避難所において、住民からは「益城町はバナナが一本ずつ来ているのに、大津はまだ何も来ない、1日たっても握り飯ひとつか」と叱られたことや、おにぎりをビニールに入れて配ったら「こんなのはにぎり飯じゃない」と怒られたなど、耳を疑いたくなるようなお話もありましたが、これが被災の現場ということです。こうした中、大津町では、外部の支援を受けながら対応にあたったわけですが、県や消防機関、自衛隊などへの応援要請は首長の重要な役割です。しかし、実際に要請するとなると、迷いが生じるという話は過去の災害でも聞いたことがあります。本当に要請するほどの災害なのか、どう伝えていいのか、直前まで迷うそうです。
大津町長から、要請にあたって悩んだという話は出てきませんでしたが、おそらく、それまでに顔の見える関係がしっかりできていたということではないかと思います。特に民間企業に対して出ていかないように依頼に行くことは楽ではなかったはずです。民間企業が町から出ていくとなれば、税金が減るだけでなく、従業員も引っ越してしまうため、市にとっては長期的なダメージとなります。こうした事態に早い段階でトップ自らが対処したということは学ぶべき点だと思います。