2017/01/17
誌面情報 vol47
Oral History01 生産をやらないかんのや
株式会社ノーリツ 代表取締役会長(当時) 太田敏郎氏
聴取日:1999年6月23日
明日の代理店会は絶対にやる

1月17日の翌日には東京で代理店会を開催することにしていました。私も17日の夜から出かけて行く予定でしたが、ドカーンときました。
地震があった後は、全然情報が入りません。テレビでは一切分からないし、ラジオも中途半端なニュースしか入ってこない。電話をしても話し中でかからない。自分のマンションから眺める範囲しか分からず、神戸が地震の中心であることも知りませんでした。「もし関東が中心であった場合、神戸がこれだけ被害を受けたんだから、東京は大変な状況ではないか」と思いました。だから、東京で代理店会どころではないのではないかと。
「会社はどうなったか、まず見て来なきゃいかんな」と思って自分で運転して出かけたんですけど、一歩表通りに出たらどうにも動かない。動くよりも家で待機する以外ない。下手に動くと、かえって連絡が入らないから、とにかく自分は動いちゃいかんと思いました。
すると、第一報の電話が入り、「本社は壊滅状況です」と。だいぶ経ってから、明石の工場の方からやっと一報が入り「工場は相当やられているけれども何とか復旧できる。生産は可能だろう」という話が入ったのです。
それで「代理店会をやらなきゃいけない」と思いました。本社は壊れてもいい。しかし、工場が健全であるなら、皆さんが集まっているなら行った方がよいと判断をしました。
昼ごろには、東京は何ともないということが伝わってきて、工場が大丈夫ということもあり「明日の代理店会は絶対にやる」という結論を下し、状況の準備にかかりました。
電車も動いていないので、山越えで伊丹空港に行く以外ないということで、18日の夜明けの3時頃、神戸にいた役員連中を連れて出発して、朝の便を何とかつかまえることができました。
重役には、電話で連絡をとりましたが、私の電話からは直接かけてもどこにもかかりませんでした。工場には時々かかったので、工場から東京へ電話をして、東京からまた役員へ電話をしたり…。
うちの工場は大丈夫
会場に行ったら、全国の代理店が集まってきていて、「ノーリツとTOTOは壊滅した」という業界ニュースが流れていました。噂の怖さにはびっくりしました。取引先は「壊滅したメーカーと付き合っていいのか」ということで、みんな疑心暗鬼になったでしょう。
そんなところへ乗り込んでいって代理店会を開き、私が真っ先に立って「うちの工場は大丈夫」という話をしました。ちょうど、工場からも会場へ電話が入っていて「午後から工場の生産ラインは機械を修理して動かせる」というニュースが入っていました。そのことも皆さんに話して「壊滅というニュースが流れているけれども、今日の昼から生産をやる」という話をしたのです。そしたら皆がワーッと手を叩いてくれました。
あれが無かったら、各社バラバラだったでしょう。「本社は壊滅だ」という話はしました。だけど、工場は今日の昼から稼働するぞということで「皆さん、安心して下さい」と言ったら、みんなワーと喜んでくれて、それから神戸の家に帰りました。
それから、工場へ飛んでいきまして、そこで対策本部を設けました。取り掛かって怖かったのは、従業員の間の空気がおかしいんですよ。「生産する」と言ったって、みんな素直に「よっしゃー」とならんのです。
「なんで今になって生産やるんや」ということですね。「神戸は壊滅状態。皆さんががれきの下で埋もれとるのに、なぜ我々は生産するのや」と。「会社をあげて救助に行くべきだ」ということですな。そういう空気が漂ってきて、生産になかなか取り掛かろうしないのです。
これはえらいことになったということで、社長と私と手分けをして、各職場ごとに緊急集会を開かせました。我が社の状況を話して「本社は壊滅」という話も全部してやって、それで「東京に行ったらうちの会社は潰れていることになっとるんや」と。「で、全国のお得意さんは、あかん、という見方をしてる」と。「生産は大丈夫だ、と言い切っているからには、品物を出さなきゃ、この会社は潰れたことになるぞ」と。この会社が潰れたら従業員だけでも3300人、家族入れたら1万人超しますんでね。それで「下請けさんも入れたら数万人の人がこの会社で飯食ってるんや」「その人達の命が無くなるぜ」ということで。
ですから、「とにかく今から神戸の町に助けに行こう、なんて言うことも良い事だけれども、それは否定はせんけれども、まず我々の関連しているこの数万人の命の方を守ろうやないか」という話をして、「そのためには生産をやらないかんのや」「生産して1日も早く品物を出さんことには会社は潰れたことになるんや」という話を各職場でやってまいりました。それで皆納得したようでした。
それからほとんど徹夜みたいな状況で生産が始まりました。作った製品は東に行けんもんですから「西に行け」と、「姫路から日本海を回って日本海から新潟に回って送れ」と言って、ルートを作りまして東京へ品物を送ったんですね。
「日曜日で休みになれば、あんた達はボランティアで行け、その時には会社も応援しよう」ということでやりました。「避難所用の風呂を会社から寄付しよう」と。
社員は幸い、神戸に住んでいる人が少なかったんでしょう。ですから、死亡はゼロ。ただ、お父さんとかお母さんとか身内が亡くなった者が10人います。
最初は社員の安否をつかむのに非常に苦労しました。しかし、後で調べますと、1月20日には全員の状況がつかめています。ですから、日頃の連絡網が割合にできていたということでしょうか。2、3人なかなか連絡がつかない者がおりましたけど、これも1月20日には全部つかめていますから。
社員の家屋は、21世帯が全壊。被害を受けたのは246軒になっています。明石の研修センターを開放しまして、そこへ73世帯ぐらい入ったと思います。
災害は、自分で立ち上がる以外ない
仕事が平常に戻るのは、割に早かった。新規需要も増えましたし、アフターサービスもしました。ただ、ガスが出ないとうちの製品は用をなさないものですから、ガスが出るまで相当時間がかかりましたから、むしろガス会社の方に集中したんじゃないでしょうかね。
私がつくづく感じたのは、災害というものは、自分で立ち上がる以外ないと。人が助けてくれるものではないという気がしました。
我々としては、のんびりしているわけにはいかんわけです。とにかく会社というのは1日も早く生産してやらんことには潰されるわけですから。全国の他のメーカーはみな健全なんですから、被災地でオンオンと泣いていたら、攻め込んでくるわけです。
我々の場合は、別に助けてくれという気は無かったですな。とにかく「自分でやる」という気持ちでありましたから。私たちは恵まれていて、金を借りる必要もなかったもんですから。金が無かったら、やっぱり助けてくれということになったんでしょうけど。
トップは、自分で判断しなければ
社長は、地震のあったその日の朝のうちに飛行機に乗って、東京へ行ってしまったんです。自分は今度、社長就任のあいさつもしなければいけないので、東京に行かねばならないという使命感で東京に飛んでいった。
後から考えて「指令官がそう動いたらいかん」と言ったことがあるんです。「とにかく、司令塔は動くな。おまえは厳然とここに居れ、いろいろな情報が入ってくるやつを、お前が決断してやらにゃならない事が多いんだから」ということで。
トップは、結局、自分で判断しなければいけませんね。私は今の社長にも言うんですけど「とにかく役員会をやって、皆の意見を聞いてホーホーとしとったらあかんぞ。聞くのはよろしい、コミュニケーションの場としてはよいけど、結論は自分で持っとったれよ。自分でもたない限りは役員会をやるな」と。まぁ間違っている時は、真っ先に変えていったらいいと思うんですけどね。
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