ICSを実験する

10年間のうちにICSは南カリフォルニアの全域及び全国に広がって利用された。それはうまく機能したからだ。

それを習得し、活用するのは単純なことであり、単に山火事だけではなく、あらゆる種類の災害がもたらす混乱に秩序を取り戻すために利用することができた。しかもそれは災害の大小に応じて適用することができる、すなわち自動車事故から地震による大災害までの様々な事故や災害に使えるものであった。

ニューヨーク市で早くにICSを取り入れたのはOEMであった。パラレルな宇宙においては、市の膨大な官僚制度、中でもOEMの長年のライバルであるニューヨーク市警察とニューヨーク市消防との間のマネジメントに関してはICSが鍵であるということが分かっていたからである。

2001年の秋、OEMは市全体の災害訓練にICSを試行してみる準備をしていた。
大半の大都市およびすべての州と同様に、ニューヨーク市は伝染病あるいはバイオテロの攻撃があったときに、市民に予防的(保護的)抗生物質あるいはワクチンを配布するための計画を持っていた。そのような医薬品は840万人の市民一人残らずに迅速に与えられなければならない。

市全体の訓練は”オペレーション・トライポッド(Tripod)“と呼ばれた。トライポッドは”トライアル・ポイント・オブ・ディスペンシング(Trial Point Of Dispensing: 仮分配所)“の頭字語のようなものである。訓練のシナリオはテロリストが地下鉄内で大量の炭そ菌を放出したというものである。西53丁目のニューヨーク客船ターミナル埠頭92が大きな分配所(POD)として用意されていた。OEMは医薬品を求めてPODにやって来る民間人を演じてもらうために数百人の警察アカデミーの生徒と消防の研修生を雇用していた。薬のにせものとして7万個のM&M(チョコ)まで用意した。

オペレーション・トライポッドは9月12日の水曜日に予定されていた。市全域からジュリアーノ市長、警察と消防の本部長、FBIとFEMAの高官などのVIPがオブザーバーとして招待されていた。

9月11日の火曜日、OEMスタッフの多くは訓練を準備するために早くから来ていた。みんな忙しい一日になると思っていた。それがどれほどの忙しさになるかを想像できる者はいなかった。

攻撃

それは午前8時46分、5名のハイジャッカー(乗っ取り犯人)がアメリカン航空の11便をワールドトレードセンター北タワーの北側に衝突させたのが始まりだった。午後5時21分、ワールドトレードセンター7が崩壊し、ツインタワーが隣接する12以上のビルとともに瓦礫と化したときに終わった。

攻撃直後の数時間、消防士・建設労働者・ボランティアが煙の立つ積み上がった残骸物の間を掘って進む中、連邦・州・市の機関がごちゃまぜのアルファベットスープ(機関の略称がアルファベットからなる)のようにロウワーマンハッタンに注がれた。これらの機関(EPA、OSHA、HHS、NIOSH、PESH、COSH)の多くは何らかの形で被災した人たちの健康と安全に責任があった。

それらの暗澹(あんたん)とした日々の下、関心とリスクは非常に高かった。メディアはグラウンド・ゼロに集中した。一挙手一行動が、一言一句が拡大され過剰に分析された。ミスはキャリアの終わりであった。

瓦礫の上の作業者や近隣の住民の場合には各機関は必死に関わろうとしたが、責任を問われることになるだろうミスを避けるのにも同様に必死だった。

攻撃直後の数日間、ロウワーマンハッタンでは、作業者の安全や環境衛生などがあまりに白熱した問題となったために、通常であればそれらのことに責任のある官僚が突然かかわることをやめてしまった。

対応の尻尾

災害の映画であまり緊急事態マネジャーを見ることがない理由の一つは、彼らは”突然いなくなる“のではなく、携帯電話のイヤフォンを耳につけて、ノートパソコンにかじりつくためにじゅうたん敷きの会議室へ駆け込むからである。

パラレルな宇宙において、断トツに、最も重要な仕事をするのは、現場の警官と消防士と人道的な救助作業者である。これは戦術レベルのこと、あるいは対応における”歯車“として知られている。

同時にオペレーションセンターの中、あるいはその周囲では、チーム・オブ・チームズが編成されて、重要な情報や資源の面で現場対応の歯車を支え、その戦術レベルでは処理できない問題を解決する。

外部からは、対応の”尻尾“であるEOCは退屈のように見える。しかしその尻尾の働きが現場での結果に深い効果をもたらすことができる。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300